瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

限られたいのちだからこそ

2007年02月22日 | 瞑想日記
日常の意識を省みると、人間関係の中で人の評価を気にしたり、優劣の意識に囚われて一喜一憂していることがあまりに多い。気づきが入れば入るほど、「自我」への執着のままに生きている自分の姿が見えてくる。

一方で、限られたいのちとして生きている自分を自覚するとき、別の思いが湧き上がってくる。

限られたいのちだからエゴのままに生きよう、という考え方も当然あるだろう。限られたいのちだから、一切がむなしい、何をやってもよい、という虚無主義におちいることもありえよう。

しかし、私にはまったく別の思いが湧きあがる。限られたいのちだからこそ、生死という区別を超えて大切な何かがある、限られたいのちとして生きるからこそ、生死をこえ大切な何かの前に立たされるという思いが湧きあがる。

時間に限定されたいのちを自覚すればするほど、時間に限定されない、大切な何かへの確信も増す。

限られたいのちだからこそ、「自我」に曇らされない、まっすぐな意識で行為することが何よりも大切である。「自我」から自由な純粋な意識で行為して行くことが大切である。

私は、沢木興道に、そのような大切な何かを行きぬこうとするまっすぐな意思をみた。
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