瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「私」:限りあるもの

2007年01月30日 | 瞑想日記
日常の中でできるかぎり自分の想念・思考に気づいていこうとする意欲は再び強くなっている。多くの思考は、自我を弁護したり、確認したり、強化したりする働きを背後に隠し持っている。そういう思考の働きにもそのつど気づいていく。

「自我」が働いている姿をそのつど気づくようにしていると、「自我」つまり「私」の限界を感じることも多くなる。「私」は必ず終わるものであること。肉体の死とともにであれ、他の形によってであれ、「私」は必ず挫折するということ。「私」の企図も、必ずどこかで途切れ、挫折する、「私」という観念ともに。

その事実をできるかぎり深く感じることが、「私」を明け渡す準備になっていくのだろう。そして時が満ちたとき、「私」は明け渡されていくのだろう。

昨日の夢に象徴されるような突如として襲ってくる「不条理」、あるいは子供をめぐる問題での苦しみ。だからこそ余計に何かにしがみついて苦しんでいる「私」を感じる。

生きることの苦しみに、ごまかさず直面することで「私」という思考が限りあるものであることが次第に実感されていく。