瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

「むさぼる思考」

2007年01月18日 | 瞑想日記
やはり、日常生活の中で想念・思考に気づきが入る度合いは、最近かなり増えている。とくに「むさぼる思考」には確実に気づきが入る。また、日常生活の中での自分の想念・思考の傾向が、明確に見えてきた感じだ。

「むさぼる思考」と書いたが、日常の思考を私自身の自己理解のために便宜的に分類したものの一つだ。「むさぼる思考」は、何かしら潜在意識に根ざす執着や傾向性によって何度も同じパターンで繰り返す思考をいう。これが日常の想念・思考の中ではいちばん曲者だろう。

「必要な思考」は、生活や仕事のための計画や段取り、実際に行動しているときの状況判断と行為の選択のための思考など、最低限必要な思考だ。

「些細な思考」は、上の二つのどちらでもないが、ちょっとした外的刺激からの連想などで生じる他愛もない想念だ。その背後に根づよいコンプレックスや執着が隠されているわけではない。

おそらくどんな人にも特定のテーマでの「むさぼる思考」があるだろう。また特定のテーマではなく、様々なテーマにまたがりながら同じパターンで繰り返す「むさぼる思考」もあるだろう。

私の場合は、微細なところで他者の評価や眼を気にして、「あの時あの人は私の行為をどのように受け止めたか」などと確認しようとするパターンがまだまだ多い。また、人との優劣を確認する思考も多い。

もちろんこういう傾向は以前から分かってはいたが、多くの想念・思考に気づきが入るようになると、それがより明確になった。背後の動機にもサティが入ることが多いので、「ああ、やはり」とますます明確になったのだ。

しかし「むさぼる思考」に確実にサティが入るので、以前のように無自覚のままむさぼり続けることはなくなった。