瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

サティによる浄化

2007年01月17日 | 瞑想日記
無意識の層から浮かんでは消える想念のエネルギーは、実は消えるのではない。汚物が水面に浮上してはまた沈んでいくように、何度も何度も循環しているのだ。だからこそ同じ思考パターンを繰り返すことが多いのだろう。

そうした無数の想念のひとつひとつに気づく、サティするということは、それらに付着するエネルギーを少しずつ解放していく作業なのかも知れない。それはちょうど、精神分析において無意識の自覚化が、抑圧されたエネルギーの解放につながるのに似ている。だた、一回一回のサティによって解放されるエネルギーはごくわずかだろう。しかし、サティは一日に何百回、何千回と行うことができる。その積み重ねがサティによる浄化ということだ。

日常、無意識から突き動かされるようにして無数の想念を繰り返していくために、脳はかなりのエネルギーを消耗しているだろ。では、サティによって無駄な想念を減らすとどうなるか。脳の無駄なエネルギー消費が減る。脳の思考が整理され、本当に必要な思考にエネルギーを集中させることが可能になる。

仕事中でも、いわゆる雑念が起こったら起こりっぱなしにせずに、すかさずサティする。どんな微細な思考であっても、思考をピンでつまみ挙げるのだ。それが浄化作用となる。雑念が減り、集中力が増す。

今日は、勢い込んでサティをしようとは思っていなかったが、ちょっとした思考にもかなりサティが入っていった。努力しなくともある程度のサティが入っている感じ。もはや無意識から突き挙げてくる想念のエネルギーは、コントロール不可能とは感じなくなった。

★1月14日(日)には、旧ダイアリー(さるさる日記)の方では、「自覚的に生きる」というタイトルでアップしていましだが、こちらのブログにはアップするのをうっかり忘れていました。遅ればせながらアップしておきます。