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瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

意欲がない

2006年04月16日 | 普通の日記
◆意欲がない
しばらく記入を休んでしまった。とくに理由があるわけではない。それほど書くべきこともなかったというところか。ブログの更新にもホームページの更新にも、最近それほど熱心になれなくなっている。ホームページの方は、もう5ヶ月も更新していない。

昨日と今日、ある程度は時間はあったが、以前ほどどうしても、という気持ちにならない。また、次の本のため、あるいは雑誌の原稿を書いたり、ということにもあまり心を動かされない。かといって他にぜひこれをやりたいということもない。

他にとくにやることがなければ瞑想をしようかな、と思うが、これもそれほど熱意をもってということでもない。昨日も今日も、朝40分ほどか。今日は、就寝前にも瞑想をしようと思う。

一日断食も昨日も行わず、今日も途中で止めた。明日、仕事をしつつ行うつもりではあるが。瞑想をするには、断然、断食や少食がよい。

◆国家エゴ
ここ数日、ウェッブ版(日本語)の朝鮮日報と中央日報に関心をもってかなり時間を割いて読んでいる。中央日報の方は、それぞれの記事に読者がコメントを記入できるので、そのコメントもかなり読んだ。

新聞記事そのものの中に、日本を強烈に意識する韓国の人々の心が濃厚に反映されているのは、驚くばかりだ。日本の新聞がアメリカを意識する度合いと比べものにならない。常時これほどに日本を意識せざるを得ないことは、相当の心の負荷であろうと思う。個人の心理にたとえれば、相当の「囚われ」だと思うが、逆に言えば、そうならざるを得ない歴史を背負ってきたということだ。

そういう記事に対する日本人のコメントが、またまたかなり強い囚われ、執着に動機づけられて、延々と続くのだ。一面私の心のなかにも同様の心理が働いていると感じるのだが、限度を超えているものも無数にある。

エゴがそのまま国家と自己同一化している。そして強い差別意識を生み出す。日本人のコメントの中にその見本を見る思いだ。