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瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

普通の生活に戻った

2013年10月26日 | 瞑想日記
◆前回、このブログに書いてからほぼ2カ月になる。そこで簡単に近況報告をしておく。9月から高校の二学期がはじまり、順調に職場復帰できた。一日働いても疲れはそれほどなかった。歩行も、よほど注意して見ないかぎり誰も脳梗塞の後遺症があるとは気づかないだろう。もちろん私の中では発症前と同じ感覚ではない。歩くときの違和感はある。階段などの昇り降りもほぼ普通に出来るが、疲労はすぐ来る。倍ぐらい疲れる感じだ。ジョギングは出来るが50メートルも走れば足の付け根が痛くなる。それでもほぼ普通に生活できるようになったことは、本当にありがたい。

再発の恐れはつねにある。食事制限と運動は、心して行っている。体重は62キロ台になったので発病前より10キロ減ったことになる。ジムにも週2回から3回通っている。ウォーキングもかなりしている。一日1万歩以上歩く日も多い。一日半断食は、最近やっていないが、体重は減る傾向にあるのでまあいいだろう。

◆最近、もっともっと深めたいという研究分野がある。日本文化論というテーマだ。日本文化の特徴を探求したいと思ったら、西洋や日本以外のアジア地域など、世界の文化との違いを明らかにしていかなければならない。そうなると学ぶべきことは限りなく、気が遠くなるような話だが、自分にできるかぎり学んでいきたい。また、学ぶことが楽しくてならない。

最近読んで面白かったのは、河合隼雄の『神話と日本人の心』である。もともと河合隼雄の本は大好きで多く読んできたが、この本では、従来の関心分野と最近の関心分野がぴったり重なっており、その意味でも刺激の多い本であった。どんな関心から読んだかについては、母性原理と男性原理のバランス:神話と日本人の心(1)を参照されたい。

◆瞑想はほとんどしていない。それが、このブログからご無沙汰してしまっている理由でもあるが、徐々に復活していきたいと思う。

「頂いたいのち」は「返すべきいのち」

2013年08月16日 | 瞑想日記
退院して10日目になる。自宅を基盤にした生活の中でも日毎に体の機能が改善していくのが実感できる。たとえば、駅の階段の上り下りがかなりスムーズになってきた。家の床は裸足で歩くが、靴で固定されない分、外を歩くより不自然な感じが強かった。その違和感もだいぶ薄れてきた。

一日8000歩以上歩くのを目標としている。今日は夕食までにその目標を達成していなかった。腹が落ち着いてから近所の道や公園を歩いた。歩きも自然な感じに近くなっているのを実感した。元々歩くことが好きだった。自然な感じで歩くこと、歩けることの喜びを一歩一歩かみしめた。

散歩から帰って体重を計ったら65kgちょうどだった。起床時と同じだ。ということは、この時点ですでに今日のエネルギー摂取量を消化したことになる。明日の朝は65kgを割り込むだろう。

しかし、うれしいことだけではない。一度目の脳梗塞のときは、数か月後には後遺症が全くと言っていいほど残らなかったので、この病気をあまり深刻に捉えていなかった。再発の危険が高い病気だとは聞いていたが、予防や食生活の改善などについてあまり調べもしなかった。しかし二度目の今度はそんなわけにも行かない。今回はインターネットなどでいろいろ調べている。

今まで知らなかったのだが、不整脈と脳梗塞が関係あるらしい。不整脈とは、さまざまな要因から洞結節で発生する電気信号やそれを心臓全体に伝える経路に異常が生じて、心臓が規則正しく拍動できなくなった状態のことだという。なかでも「心房細動」は、心房がけいれんするようにとても早く小刻みに震えて、規則正しい心房の収縮ができなくなった不整脈だ。心房細動そのものは、ただちに命を脅かすものではないが、心房内に血のかたまり(血栓)ができて脳梗塞の原因となったり、心臓の機能が低下して心不全を起こすことがあるという。

これを読んで思い当たることがあった。今回、脳梗塞になる2~3週間前から、心臓のあたりにこれまで感じたことのない違和感を感じていた。痛みはなかった。かかりつけの医者に行って心電図をとってもらったら、若干の不整脈があるが治療するほどのものではないとのことだった。「これを飲んでもよい」くらいの感じでワソラン錠という心臓の働きを助ける薬をもらったが、その後、それほど違和感を感じなくなったのであまり飲まなかった。

私の不整脈が心房細動だったのか、それが今回の脳梗塞の原因だったのかどうかも分からない。現在は、不整脈らしき違和感は心臓にあまり感じなくなっている。しかし、心房細動は、60歳以上の年齢層では2~4%に認められ、加齢と共に加速度的にその頻度が増加するという。私の体が、いつ三度目の脳梗塞を患ってもおかしくない、様々な要因(高血圧、糖尿の傾向、不整脈など)を抱え込んでいることだけは分かった。

そういう条件の中で、自分が今後どんな生き方をしていくべきかを問わなけれなならない。やはり、これからは「頂いたいのち」をどう生きていくかという、発想の根本転換を求められているのだ。「頂いたいのち」は、「返すべきいのち」でもある。返すとき、頂いたいのちがどれだけ清められているかが問われているのだ。

自分の履歴を自覚的に手放す

2013年08月10日 | 瞑想日記
一度目の脳梗塞は、2008年1月2日(水)に起こった。暮れの12月28日からはじまった八王子での瞑想合宿の6日目であった。午前中の、先生のダンマトークをメモする字が乱れ、面接時に話す舌の動きが鈍く、歩行瞑想でもふらついた。父が脳梗塞で倒れた時の経験があるので、すぐ病院に行く必要があると感じた。いくつか電話してもらったがベッドの空きがなかった。しかしたまたまキャンセルが出た八王子市内の脳神経外科の病院がありその日のうちに入院できた。そのためか麻痺は軽くすみ、右手で字が思うように書けなかったのと、少しろれつが回りにくくなった程度であった。5日間の入院と退院後2日の病欠後、すぐ職場に復帰した。その20日ほど後のブログで、私はすでにミンデルとの関係で自分の脳梗塞の意味を考えていた。

1ヶ月もたつと麻痺もほとんど消え、発病前と変わらぬ生活に戻っていた。ところが1月27日、急にまたろれつが回らなくなった。回復するどころか明らかに後退している。少し、不安になった。また小さな脳梗塞が起っているのではないか。かかりつけ病院にいった。医者の判断は、本人がまたしゃべりにくくなったと感じるなら、ほぼ確実に小さなな脳梗塞が起ったのだろう、とのことだった。しかし、入院するほどのこともなく、結果を追認するだけのことだからと、MRIもとらなかった。

ただ不安に感じたのは、小さな脳梗塞が波状的に繰り返される可能性があるということだった。そんな不安の中で私は、ミンデルの『うしろ向きに馬に乗る―「プロセスワーク」の理論と実践』や『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』を再読した。

「うしろ向きに馬に乗る」とは、日常的な意識のあり方を裏返すことの比喩である。それは、たとえば病気に対して「とんでもない」と言いながらも、一方で「しかし、これは何と興味深いのだろう」と言うことを意味する。

「普通、死は恐ろしいと思われていますが、うしろ向きという異端の考え方では、死が何かを教えてくれると捉えることもできます。‥‥苦しみに対して『嫌だ』と行って何を試しても効果がないときには、苦しみに『なるほど』と言ってみてください。そうすると、トラブルが何か面白いものに変化して、喜びにあふれ、笑いをこらえきれなくなるかもしれません。」

プロセス・ワークは「世界に対して今起りつつある出来事の可能性を見抜き、何かが展開しようとしている種子として世界をとらえる」ことだという。この時、私は「自分にとって脳梗塞は、可能性に満ちた種子なのかもしれない」と書いている。

次に再読した『シャーマンズボディ』。 読み出してさっそく、思わず感嘆してしまう言葉に出合った。人は、何らかのワークや修行をすることで、あるいは年齢を重ねるだけでも、「自分のアイデンティティはいずれ消え去らなければならない」ということを学んでいく。個人のアイデンティティ、ないし個人の履歴は、消し去らなければならない。アイデンティティは、「社会的な役割やコミュニティから期待される型をあなたに押しつけ、あなたの境界を定めてしまう」からだ。

「自分の履歴を自覚的に手放すか、あるいは、それにしがみついて死や病気によってそれが奪われることを恐れるか、どちらかしかない。」(何と強烈な言葉か!)

「自分の履歴を手放すことが、この世に生まれた以上は誰もが必ず学ばなければならない決定的に大切なレッスンである」とミンデルは言う。

夢に現れる敵は、実は自分に強い影響力を持つ「朋友」だ。病気も、家族とのトラブルも、同じように強烈な「朋友」だ。「人生の神話とは、望もうと望むまいと、この朋友との対決の物語だ。」 それは、自分のアイデンティティを消し去るまで、何度も何度も繰り返し襲いかかってくる敵であり、「朋友」なのである。人生は、強固なアイデンティティを手放すというたったひとつの主題をめぐって、学習を続けていくプロセスだともいえる。

2008年2月9日付のブログで私は次のように書いている。

―― 私が軽い脳梗塞を体験し、その意味を夢で確認した(夢の内容は省略)のは、「自分のアイデンティティを消し去る」という課題に、私がこれまでにもまして真剣に立ち向かわなければならない、ということだったのだろう。

「自分のアイデンティティを消し去る」とは、今度の脳梗塞の後に私が使った言葉で言えば、「透明になる」「魂の浄化」と同じことだ。私が二度目の脳梗塞を経験してしまったということは、一度目の後、この課題に真剣に取り組まなかったということだろう。だからこそ、もう一度だけチャンスを頂いたのだ。

それにしても「自分の履歴を自覚的に手放すか、あるいは、それにしがみついて死や病気によってそれが奪われることを恐れるか」は、ずばりこの二つの選択肢しかないことを突き付けられる。私は、「自分の履歴を自覚的に手放す」チャンスをもう一度だけ頂いた。このことを肝に銘じよう。

病後にミンデルを読み返す

2013年08月09日 | 瞑想日記
今回の脳梗塞の発症とその後の入院生活、そして病院のスタッフの人々の働く姿を見ての喜びなどを思い返すと、何かとても静かな心でその全体を肯定的に捉えている自分を発見する。だからこそ、ミンデルをもう一度読み返そうという思いが湧いた。しかし、本を読み返すまでもなく、過去にこのブログにミンデルの言葉をたくさん載せてきたのを読み直す方がよいことに気づいた。このブログの右上の検索欄で「ミンデル」と入れて「このブログ内で」で検索した。それらを読み返していると、前回の脳梗塞(2008年1月)に触れているものもあり、その頃のブログも読み返した。ともあれ、病気のあとミンデルの言葉を読み返すと、また感慨深いものがある。

まずは簡単にミンデルの紹介。

ミンデルは、身体と夢とを同じ本流から流れ出た支流と考えて、その「つながり」、「関係性」を注意深く見ていく。体の症状も夢と同じように無意識の創造的な発現である。夢に意味があるように身体に起こっていることにも恐らく意味がある。それは単に悪いものではない。夢=身体(ドリームボディ)における夢と身体との関係には、原因も結果もない。夢と身体には鏡を介在したような相互に反映しあう関係があるだけだという。 夢と身体症状は、お互いに分身であり、夢のイメージも、身体の症状も根元は同じと考え、その共通の根元を夢と身体の一体になった「ドリームボディ」と名づけた。

ミンデルは、かかわりをもつ人間の中に、あるいは人間同士の関係のなかに、さまざまな現実そのものの中に、それらに即して、全体性を回復するうねりのような力を見ている。押さえつけていたもの、無視したり抑圧していたりしたものを明るみに出し、それらが充分に働くようにすれば、それが展開することで全体的な調和が生み出される。「大きい力」を心身や社会という現実そのものに内在する運動と見ている。

タオ=「ドリームボディ」=「大きい力」=「時空を超えた世界」が、実はこの日常的現実とひとつであり、夢や身体症状や偶然の一致や、一見不幸な出来事などの形をとって、絶えずこの現実の中でプロセスを展開しているということ。タオと現実とがひとつらなりであること。その働きかけを自覚してそのプロセスに自らをゆだねることが心理療法という実践のかなめであり、人間の心理的成長にとっても大切なことなのだ。

現実の中の病や人間関係のトラブルや苦悩や絶望や挫折、それらがすべてタオからのメッセージ、いやタオそのものが発現するための大切なきっかけなのだとしたら。そうだとすれば私は、日常を生きながら、その現実のプロセスの中により深い次元を発見し、その深い次元を生きることができる。そこに気づかせてくれるのが、ミンデルのたまらない魅力なのだ。

以上は、以前書いた文章からの抜粋なのだが、改めて読み直して、今回の脳梗塞を私は最初からこのような視点で捉えていたなと確認した。私にとって今回の病がタオからのメッセージ、働きかけであることは最初から明らかだった。病気を通して、妻との関係も以前よりよくなっている。病院のスタッフの人々の私心のない働きぶり(すべての人がそうだとは言わないが)は、私に静かな影響を与えている。これらすべての経験が、私に深い影響を与えている。

ミンデルは、ドン・ファンの「第一の注意力」、「第二の注意力」という言葉を借用して次のように言う。

「第一の注意力は、私たちが日々の仕事をこなし、定めた目標を達成し、自分のアイデンティティを保つのに必要な自覚である。一方、第二の注意力は、普段無視している内的な出来事、主観的な体験、非合理的な体験に焦点を当てる自覚である。第二の注意力は、無意識的(で夢のような)動作、偶然の出来事、うっかりした言い間違いといった、四六時中生じている自発的なプロセスへ向けられたものだが、それは夢見の世界への鍵なのである。(『シャーマンズボディ―心身の健康・人間関係・コミュニティを変容させる新しいシャーマニズム』)

第二の注意力を育むことによって、日々の生活の場である現実が、豊かな意味をもって働きかけてくる。夢が、私にそっと何かを教えてくれるように、体の症状も夢と同じメッセージを伝えようとしている。日常の中で延々と続けられる散漫な思考や夢想も、気づきさえすれば、私の奥深くから湧きあがってくる「傾向」を物語っている。それは、気づきさえすれば夜見た夢と同じプロセスを物語っている。そして気づき(サティ)は、日常の中でも研ぎ澄ましていくことができる。

新たな生活

2013年08月08日 | 瞑想日記
退院後一日目の今日は、午前9時から通院のリハビリで、入院していたリハビリ病院に行った。家から電車と歩きで30分ほどだが、乗り換えが2回ある。一人で電車に乗ったがさほど不安はなかった。いちばん苦手だった下りの階段も手すりにつかまりゆっくり下りれば問題ない。通院は9月からの通勤のリハビリになる。

通院は理学療法だけ、担当は若い男性だ。彼も「脳梗塞の2度目は1度目より麻痺がかなり重くなる場合がほとんどだ」と言っていた。私が実は2度目だと言うと驚いていた。いずれにせよ、3度目が起こる可能性は充分あり、その時は今回のような軽い麻痺ではすまされない。そういうリスクを負ってこれから生きていくのだということをあらためて自覚した。

だからこその徹底した食の管理と適度な運動、そして私はそれに加えて気功やヨガ、ゆる体操と瞑想が加わる。食の面では一日半断食も再開しようと思っている。入院中の小食に慣れているので一日半断食もかんたんにできそうな気がする。

夕方、荒川の土手を40分ほど歩いた。後半、家に向かう道では痛みはなかったが、両足がかなり疲れていた。この足の疲れも徐々に消えていくのだろう。発病は、この土手をジョギングして帰り、風呂に入ってビールを飲んだ後だった。アルコールはもう飲まないが、いずれジョギングは再開したい。その時はもちろん水分を充分とりつつ。かつては、この土手をサティしながらよく歩いた。その時々のサティの状態をこのブログでもよく報告した。今日も後半、思い出したようにサティをした。明日はもっとサティに集中しよう。

入院中、ほぼ毎日「ストレッチボード」というのを使って15分ほど、ふくらはぎの筋肉を伸ばしていた。左脚は麻痺の後遺症か、疲労すると夜こわばりやすいので退院後も充分なストレッチが必要だ。それで病院で使っていたボードの簡易版のものをAmazonで見つけて注文した。こんなイメージのものだ。病院では壁を背にこの上(病院のは金属製のもう少し複雑なもの)に毎日15分ほど立っていた。家でもやろうと思っているのだが、どうせやるのだから、私としてはこれをヴィパッサナー瞑想の「立禅」として行うつもりだ。足裏の一点に集中し、その感覚の変化にサティを入れていくのだ。麻痺の関係で足を組むことは今の私にはできない。とすれば、歩行瞑想や立禅、椅子に座っての瞑想が中心になっていく。立禅はこのボードの上でやれば、ストレッチを兼ねることができる。