瞑想と精神世界

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「頂いたいのち」は「返すべきいのち」

2013年08月16日 | 瞑想日記
退院して10日目になる。自宅を基盤にした生活の中でも日毎に体の機能が改善していくのが実感できる。たとえば、駅の階段の上り下りがかなりスムーズになってきた。家の床は裸足で歩くが、靴で固定されない分、外を歩くより不自然な感じが強かった。その違和感もだいぶ薄れてきた。

一日8000歩以上歩くのを目標としている。今日は夕食までにその目標を達成していなかった。腹が落ち着いてから近所の道や公園を歩いた。歩きも自然な感じに近くなっているのを実感した。元々歩くことが好きだった。自然な感じで歩くこと、歩けることの喜びを一歩一歩かみしめた。

散歩から帰って体重を計ったら65kgちょうどだった。起床時と同じだ。ということは、この時点ですでに今日のエネルギー摂取量を消化したことになる。明日の朝は65kgを割り込むだろう。

しかし、うれしいことだけではない。一度目の脳梗塞のときは、数か月後には後遺症が全くと言っていいほど残らなかったので、この病気をあまり深刻に捉えていなかった。再発の危険が高い病気だとは聞いていたが、予防や食生活の改善などについてあまり調べもしなかった。しかし二度目の今度はそんなわけにも行かない。今回はインターネットなどでいろいろ調べている。

今まで知らなかったのだが、不整脈と脳梗塞が関係あるらしい。不整脈とは、さまざまな要因から洞結節で発生する電気信号やそれを心臓全体に伝える経路に異常が生じて、心臓が規則正しく拍動できなくなった状態のことだという。なかでも「心房細動」は、心房がけいれんするようにとても早く小刻みに震えて、規則正しい心房の収縮ができなくなった不整脈だ。心房細動そのものは、ただちに命を脅かすものではないが、心房内に血のかたまり(血栓)ができて脳梗塞の原因となったり、心臓の機能が低下して心不全を起こすことがあるという。

これを読んで思い当たることがあった。今回、脳梗塞になる2~3週間前から、心臓のあたりにこれまで感じたことのない違和感を感じていた。痛みはなかった。かかりつけの医者に行って心電図をとってもらったら、若干の不整脈があるが治療するほどのものではないとのことだった。「これを飲んでもよい」くらいの感じでワソラン錠という心臓の働きを助ける薬をもらったが、その後、それほど違和感を感じなくなったのであまり飲まなかった。

私の不整脈が心房細動だったのか、それが今回の脳梗塞の原因だったのかどうかも分からない。現在は、不整脈らしき違和感は心臓にあまり感じなくなっている。しかし、心房細動は、60歳以上の年齢層では2~4%に認められ、加齢と共に加速度的にその頻度が増加するという。私の体が、いつ三度目の脳梗塞を患ってもおかしくない、様々な要因(高血圧、糖尿の傾向、不整脈など)を抱え込んでいることだけは分かった。

そういう条件の中で、自分が今後どんな生き方をしていくべきかを問わなけれなならない。やはり、これからは「頂いたいのち」をどう生きていくかという、発想の根本転換を求められているのだ。「頂いたいのち」は、「返すべきいのち」でもある。返すとき、頂いたいのちがどれだけ清められているかが問われているのだ。
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