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瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

瞑想合宿レポート9

2005年09月11日 | 瞑想合宿レポート
◆乖離の危機感
瞑想修行と家族という問題は、最初はそれほど大きな問題とも、深い問題とも思っていなかった。喫茶室で思考モードになってしまったときに、少し気になっていることが出てきたのだろうぐらいの認識だった。ところが7日目の朝、またまたこの問題が浮上してきた。エネルギー切れになってしまいどうしても最後まで眠気が取れなかった、あの朝食後の時間帯だ。

前日(6日目)の夕方から夜の瞑想は、脳のバイブレーションも静かに深まり、サティもクリアに連続していた。7日目の朝も悪くはなかった。しかし、朝食を食べ終わって40分もすると眠気が来た。すぐに歩行瞑想に切り替えた。それで眠気は何とか消えたが、しきりに妄想が湧いた。妻との関係が中心だった。

前回、正月の合宿から帰宅したとき、妻は不満そうな態度を示した。暮れの忙しいときに仕事を残して家を空けたことへの不満だった。私は、正月の合宿での自分の体験を語りたいという思いで帰宅したのだが、妻の態度にその気持ちも萎えた。妻の不満の表出は、二言三言の言葉のやりとりで終わり、あとは普通の生活に戻ったのだが、私のなかではこの件が意外と響いていた。

今回は夏の合宿でもあり、合宿参加がとくに不都合を生むわけでもなかった。私が合宿に参加している間のいくつかの案件は、妻とも充分に調整し合っての参加だった。にもかかわらず私のなかには不安があった。妻は、私の瞑想修行にとくに強い関心もなく、積極的に理解しようとする姿勢もなかった。一方で私は、この方向に突き進んでいく自分を感じていた。一日断食を始めたことは、その傾向をさらに加速していた。合宿に入ってしまえば瞑想に専心していくので、自分が独り突き進んでいる感じはますます強まる。そんななかで、生き方や価値観の上での妻との乖離が強く感じられてしまったようだ。

現実の生活に戻ってしまえば、ときたまの夫婦喧嘩はあっても、とくに仲が悪いわけでも、まして危機的な状況にあるわけでもない。夫婦間の会話も、精神世界とか瞑想修行の話題以外では、比較的多いほうだと思う。しかし、瞑想修行に関しては私はますますディープな方向に向かっていた。妻は妻で、自立的な女性であり、仕事の面でも活躍し、充実していた。合宿のなかで私は、自分がこのまま進んで行ったときの潜在的な危機をかなり増幅して感じ取っていたのかもしれない。

瞑想合宿レポート8

2005年09月03日 | 瞑想合宿レポート
◆家族との隔たり
昏沈睡眠は不善心所のひとつだが、そこに食事の問題がかかわって来る場合もある。また別の不善心所が昏沈睡眠の原因になっている場合もある。3日目、4日目、5日目と、午後はだいたい眠気が多かったが、夕方から夜にかけては、クリアな瞑想が多かった。この傾向も何かしら食事や補給のあり方が関係していたかもしれない。

6日目の面接で地橋先生に報告した、「今回は、前回に比べるとあまり重苦しくないですね。むしろ気分的にとても軽い感じで楽です」と。前回は、半分夢のようなイメージ妄想にまったくサティが入らず、必死であがいているうちに中盤になった。しかし今回は3日目頃から、午後に眠気が出ても夜になるとよい瞑想が多くなった。脳のバイブレーションとともに訪れる深いリラックス感、脳の透明感、そしてクリアなサティの連続。

しかし瞑想がよくなればよくなったで期待もまた大きくなった。神秘体験やサマーディへの渇愛ではない。そうした渇愛にはもう懲りていた。前回まではサマーディへの渇愛で苦しみ、それでいて渇愛は満たされなかった。そのかわり、予想もしなかったイメージの展開があり、予想もしなかった洞察に導かれた。そのためか「期待」の内容がひそかに変化していたようだ。神秘体験やサマーディはとりあえずいらない、今回はそれよりも「どんなイメージの展開によって、どんな洞察が得られるのだろう」と、新たな期待が生まれていた。

私は「今回は、どんなイメージが湧きあがるのか」と半ば無自覚に待ち望んで座禅していた。しかし、エゴが待ち構えているところへ「ハイ、どうぞ」とイメージが送られてくるはずがない。エゴがイメージを期待すればするほど、それは自らを隠してしまう。今回は実際に瞑想中に湧きあがるイメージは貧困で、前回のイメージを発展させたようなイメージはまったくなかった。

しかし、待ち構えるエゴをはぐらかすようにして別の展開がやってきた。6日目の夜、喫茶室で補給をしているときにふと家族のことを思った。そして、家族、とくに妻と生き方や価値観がだんだんと隔たっていくなと思った。私は、こうして合宿に参加して瞑想に打ち込み、週一回の一日断食にも取り組んでいる。それは魂の浄化への道だった。私がその道を歩めば歩むほど妻の生き方と隔たっていく。理解も共感もなく独りこの道を歩んで、妻や家族と徐々に離れていくことへの悲しみ。

瞑想合宿レポート7

2005年08月29日 | 瞑想合宿レポート
◆インシュリンの逆説?
ところが今回はなぜかダンマ・トーク中に眠い。3日目には、おかしいなと思う程度だったが、4日目には睡魔との闘いとなった。野菜ジュースはしっかり飲んでいるので理由が分からず地橋先生に尋ねた。これまでと今回と変わったことと言えば、野菜ジュースを二杯飲んでいることだ。4日目には加えて黒砂糖一塊を口にいれた。その方がさらに頭が冴えるかもと思ったのだ。

先生は、原因はそれかもしれないと言った。空腹時に糖分を多めに摂取し血糖値が急激に上がると、インシュリンを大量に分泌して血糖値を下げようとする。しかし、この時は食べた糖は吸収されてしまっているので逆に低血糖を起こすことになる。反動性低血糖と呼ばれる現象だそうだ。

それではと翌日、野菜ジュースを一杯に戻したらトーク中の眠気がみごとに払拭された。「やったあ!」と、思わずトークの最後に地橋先生に報告した。正確に言うと、9時45分ごろに一度軽い眠気が来て10分後にはまた頭が冴え始めた。これは野菜ジュースの効果が切れて朝食のエネルギーが廻ってくる間のわずかな空白だったかもしれない。

こんなこともあり、食事・補給の量や間隔と眠気や瞑想の質との間には実に微妙な関係があることを改めて痛感した。3日目、4日目あたりの午後の眠気は、反動性低血糖が一因だったかもしれない。今回、前半はこれまでに比べると補給を多めにしていた。およそ4時間ごとにココアとハチミツと玄米全粒粉で補給していたのである。全体に補給時の糖分摂取量が多すぎた感じがする。

後半は、夕方に野菜ジュースを飲むのと就寝前の補給以外はやめることにした。そのかわり食事の玄米を少し多めにとった。それでも最後まで眠気のとれない時間帯があった。朝食を食べてすぐあとの1時間ほどである。前夜の補給のエネルギーはすでに切れ、朝いちばんの野菜ジュースはまだ効いて来ず、もちろん朝食で入れたものも廻って来ない時間帯だった。

地橋先生がよく言うことだが、食事・補給と瞑想の関係については、個人差も大きく、同一の人物でも体調その他の条件に左右されるから、完璧ということはありえない。それでも瞑想者として試行錯誤しならが自分にもっとも適した摂取法を探究すべきである。この数ヶ月、週一回の一日断食を続けている私としても、食事と瞑想との関係はさらに重要なテーマとなりつつある。

瞑想合宿レポート6

2005年08月28日 | 瞑想合宿レポート
◆朝いちばんの野菜ジュース
瞑想合宿時の食事量は、3回、4回と合宿経験を積むにつれ、ほぼ安定するようになっていた。お椀に盛られた玄米おこわの量は、普通に盛る量のおよそ4分の1、私はそのさらに半分強を食べるようにしていた。具の多い味噌汁は全部飲んだ。おかずは、手のひらに収まるくらいの小皿に何種類かがきめこまやかに盛られていた。朝はそれが一皿(プラス納豆少々と大根おろし)、昼は二皿である。その他に菓子や果物が少々ついた。おかずは7割前後食べた。昼食後は適切な時間に飲み物を主とした補給を何回かする。地橋先生によると、私ぐらいの食事量だと、次の食事までにエネルギーが切れるか切れないか、ぎりぎりのところだろうとのことだった。

朝起きてから朝食までの瞑想をエネルギー不足にしないために、寝る少し前に補給をする。今回は、ココアに玄米全粒粉を大匙に山盛り三杯ほど入れ、さらにハチミツを加えたものだった。これで朝いちばんの瞑想はきわめて安定した。

朝起きるとすぐに野菜ジュースを一杯飲むことも、2回目の合宿以降ずっと続けていた。これはダンマ・トーク中のエネルギー不足を防ぐためだ。かつて起床時の野菜ジュースを飲まなかったころは、ダンマ・トーク時に猛烈な睡魔に襲われ、眠気と格闘しなければならなかった。そしてトークが終わりに近づく10時前くらいになると、急に元気になって頭もクリアになるのだ。

朝食を食べ終わるのが7時前後、それがエネルギーとして廻って来るのはほぼ3時間後の10時前。ダンマ・トークは8時半すぎに始まる。前夜の補給のエネルギーも切れ、朝食のエネルギーも廻ってこない時間帯だ。それが睡魔の原因だった。朝いちばんの野菜ジュースは、この空白の時間を補うのである。野菜ジュース一杯でダンマ・トーク中の眠気は一掃された。

瞑想合宿レポート5

2005年08月27日 | 瞑想合宿レポート
◆不善心所と食事
今回は、スケジュールの事情で起床時間が5時とこれまでより1時間遅く、以降のタイムスケジュールも1時間づつずれた。4時からの瞑想だと、小鳥のさえずりとせみ時雨の合奏で深山の趣きだったが、5時起床だとそれが聴けない分少し残念だった。ともあれ3日目の朝いちばんの瞑想も、サティがしっかりと続いて素晴らしかった。

以降ずっと、順調にサティが続いていくかと思わず期待した。が、現実はそれほど甘くはなかった。自分が自覚していようといまいと、ちょっとした不善心所(心を汚し、暗く弱く狭くする心の構成因子。痴・欲・怒り・その他のグループに分けられる)が瞑想の乱れにつながってしまうことは、これまでにいやというほど経験した。

その意味でもヴィパッサナー瞑想は本当にごまかしのきかない瞑想だ。自分に嘘がつけない。瞑想が少しでも乱れ始めれば、そこにからなず不善心所があることに気づかされる。きわめてチェック機能にすぐれた瞑想だといもいえる。今回も次々と新たな不善心所が瞑想を乱していることに気づかされていった。

一方、眠気はもちろん不善心所だけに関係する訳ではない。合宿中の食事の量や内容が、きわめてシビアに瞑想の良し悪しに関係してくる。その辺の見分けも重要であることを、今回再び思い知らされた。それがいちばんはっきり出たのは、ダンマトーク時の眠気だった。朝起きてすぐに一杯の野菜ジュースを飲むか、二杯の野菜ジュースを飲むかで、こうも眠気に差が出てくるとは。その歴然とした差は、きわめて印象的だった。