◆乖離の危機感
瞑想修行と家族という問題は、最初はそれほど大きな問題とも、深い問題とも思っていなかった。喫茶室で思考モードになってしまったときに、少し気になっていることが出てきたのだろうぐらいの認識だった。ところが7日目の朝、またまたこの問題が浮上してきた。エネルギー切れになってしまいどうしても最後まで眠気が取れなかった、あの朝食後の時間帯だ。
前日(6日目)の夕方から夜の瞑想は、脳のバイブレーションも静かに深まり、サティもクリアに連続していた。7日目の朝も悪くはなかった。しかし、朝食を食べ終わって40分もすると眠気が来た。すぐに歩行瞑想に切り替えた。それで眠気は何とか消えたが、しきりに妄想が湧いた。妻との関係が中心だった。
前回、正月の合宿から帰宅したとき、妻は不満そうな態度を示した。暮れの忙しいときに仕事を残して家を空けたことへの不満だった。私は、正月の合宿での自分の体験を語りたいという思いで帰宅したのだが、妻の態度にその気持ちも萎えた。妻の不満の表出は、二言三言の言葉のやりとりで終わり、あとは普通の生活に戻ったのだが、私のなかではこの件が意外と響いていた。
今回は夏の合宿でもあり、合宿参加がとくに不都合を生むわけでもなかった。私が合宿に参加している間のいくつかの案件は、妻とも充分に調整し合っての参加だった。にもかかわらず私のなかには不安があった。妻は、私の瞑想修行にとくに強い関心もなく、積極的に理解しようとする姿勢もなかった。一方で私は、この方向に突き進んでいく自分を感じていた。一日断食を始めたことは、その傾向をさらに加速していた。合宿に入ってしまえば瞑想に専心していくので、自分が独り突き進んでいる感じはますます強まる。そんななかで、生き方や価値観の上での妻との乖離が強く感じられてしまったようだ。
現実の生活に戻ってしまえば、ときたまの夫婦喧嘩はあっても、とくに仲が悪いわけでも、まして危機的な状況にあるわけでもない。夫婦間の会話も、精神世界とか瞑想修行の話題以外では、比較的多いほうだと思う。しかし、瞑想修行に関しては私はますますディープな方向に向かっていた。妻は妻で、自立的な女性であり、仕事の面でも活躍し、充実していた。合宿のなかで私は、自分がこのまま進んで行ったときの潜在的な危機をかなり増幅して感じ取っていたのかもしれない。
瞑想修行と家族という問題は、最初はそれほど大きな問題とも、深い問題とも思っていなかった。喫茶室で思考モードになってしまったときに、少し気になっていることが出てきたのだろうぐらいの認識だった。ところが7日目の朝、またまたこの問題が浮上してきた。エネルギー切れになってしまいどうしても最後まで眠気が取れなかった、あの朝食後の時間帯だ。
前日(6日目)の夕方から夜の瞑想は、脳のバイブレーションも静かに深まり、サティもクリアに連続していた。7日目の朝も悪くはなかった。しかし、朝食を食べ終わって40分もすると眠気が来た。すぐに歩行瞑想に切り替えた。それで眠気は何とか消えたが、しきりに妄想が湧いた。妻との関係が中心だった。
前回、正月の合宿から帰宅したとき、妻は不満そうな態度を示した。暮れの忙しいときに仕事を残して家を空けたことへの不満だった。私は、正月の合宿での自分の体験を語りたいという思いで帰宅したのだが、妻の態度にその気持ちも萎えた。妻の不満の表出は、二言三言の言葉のやりとりで終わり、あとは普通の生活に戻ったのだが、私のなかではこの件が意外と響いていた。
今回は夏の合宿でもあり、合宿参加がとくに不都合を生むわけでもなかった。私が合宿に参加している間のいくつかの案件は、妻とも充分に調整し合っての参加だった。にもかかわらず私のなかには不安があった。妻は、私の瞑想修行にとくに強い関心もなく、積極的に理解しようとする姿勢もなかった。一方で私は、この方向に突き進んでいく自分を感じていた。一日断食を始めたことは、その傾向をさらに加速していた。合宿に入ってしまえば瞑想に専心していくので、自分が独り突き進んでいる感じはますます強まる。そんななかで、生き方や価値観の上での妻との乖離が強く感じられてしまったようだ。
現実の生活に戻ってしまえば、ときたまの夫婦喧嘩はあっても、とくに仲が悪いわけでも、まして危機的な状況にあるわけでもない。夫婦間の会話も、精神世界とか瞑想修行の話題以外では、比較的多いほうだと思う。しかし、瞑想修行に関しては私はますますディープな方向に向かっていた。妻は妻で、自立的な女性であり、仕事の面でも活躍し、充実していた。合宿のなかで私は、自分がこのまま進んで行ったときの潜在的な危機をかなり増幅して感じ取っていたのかもしれない。