おうし座、金星、思考感覚の実体験、思考概念。思考概念からの物質そのものへ。ふたご座との断絶の回復。
おうし座、0-7才の思考感覚の探索。
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ウマシアシカビヒコヂが出てくる。
断絶を繋げる、乗り越える神。
神というか自分のなかの内面、側面。
おうし座や思考感覚の探索すると眠くなってくるなー。
おうし座、金星、思考感覚の実体験、思考概念。思考概念からの物質そのものへ。ふたご座との断絶の回復。
おうし座、0-7才の思考感覚の探索。
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ウマシアシカビヒコヂが出てくる。
断絶を繋げる、乗り越える神。
神というか自分のなかの内面、側面。
おうし座や思考感覚の探索すると眠くなってくるなー。
天の父と地の果ての母(地の底の母)の瞑想を探索してみる。
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以前いった、生命の樹の底の底、下にある島におりる。
絶海の孤島で、漫画みたいなヤシの木が一本生えている小さい島。人が2人いたらもういっぱい。
「ここが視覚できる下限?無限?」
「いまのあなたにはそうですね。肉体をもった貴方が知覚できる範囲。
正確に言うと、知覚が推奨されるといいますか」
「これ以上の情報を視ようとすると、溶けるから?」
「そうですね。リスクがあるのです。溶けるので。
ここまでが人間としての諸々の安全性を確保した上での視覚化です」
なるほど。
「ここで、地の底の母を待てばいいの?」
と聞くと、以前宇宙でみた石像がドン、とでてくる。
あれ、これって・・・?
というか、なんかノイズが入っている?
なんか調子悪い。
「そろそろ、アヌビスと仲良くなるのテーマの探索は不要なので、また次回やりましょう」
黒カーリーは念ずればでてくるかな?
というと、黒カーリーの姿がでてくる。
「出てくるし繋がれるけど、この存在は溶解剤だから、タイミングなどが必要です」と言われる。
この2動画で触れている
足の二重化、複数の生命の樹をまたいだマルチ化、先端が暗黒物質に到達できる足の形成に興味があるので、自分もぜひそうしたい。
自分が意図している人間としての幸福を覆さない形でそれを行うと意図し探索する。
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エンゼルさん。
自分も腰から下が昔からあまりいい感じではない。だけど20代後半から、地球の肉体である足はじわじわ鍛えて準備していた。
結果的に鍛えていた、というものだが。
「そうですね」とエンゼルさん。
松村潔は両足を骨折することで整えていた、準備していたようだけど、私はその手法はイヤ。痛いのは嫌だし病院に行きたくない。
なのでこの手法だったのだろう。
運動、ボディワーク、ヨガのアサナやストレッチなど。
「で、松村潔の動画で言っていたことを実現するには、どうしたらいい?」と聞くと
「エーテル体以上の、見えない領域の足をつくりましょう」と言われる。
「足は別の方がいいの?」
「そうですね。でも別に2本に限定する必要もないです」
たこ足。たこのように足八本。
エーテル体だからやりたい放題。
「この8本を色々つかって、別の生命の樹をまたいだり、上限とペアリング用に使ったりします」
まあ千手観音とかみたいに手が無数に生えているエーテル体もあるのだから。
エーテル体足も無数に生えていたっていいか。
別に見えないしね。肉眼で。
「そのなかで、対になったときに、万年筆のペン先みたいに、暗黒物質に届く足ができると思っていればいいの?」
「そうですね。ここは象徴的な話なので、ざっくりとしたイメージにとどめてもらったほうがいいです」
ということで、必要な対処は終了。
二つの動画の内容から、何が必要か整理して、探索したら、ごっそりとエネルギー使った感じ。
急にお腹が減る。
やったことのない探索すると、急激にお腹減るよね。
「アヌビスと仲良くする」がテーマの探索。
昨日、松村潔のブログが更新されていてウァジェトの目について言及されていた。
wikipediaを見ていたら、セクメトが目に触れる。
これもカーリーとかセトみたいなものかな。
気になるので探索してみる。
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「別に私は貴方にとってのセトみたいな存在ではない」
獅子の顔をした存在がしゃべる。
「そうなんだ」
「君にとって、私の必要な側面は『罰する者』だ」という。
それが大事?
「罰を与える。鞭を持つ。
そういう威力は必要だ」
自分に罰を与えるということではなく?
「違う違う。むしろ他人への罰だ。
私の由来も、人間という他者、他の存在を罰するというものだろう?
君にも必要なのはこの部分だ」
「罰しなきゃいけないの?」
「別に積極的に罰する必要はない。
ただ、そういう側面を許可する、そういう武器や能力を保有することを許可する、ということだ。
自分にとってのね」
別に、積極的に活用しようとかしなくていいのか。
「許可だ。ただ許可すればいいだけだ。保有し、もし使うときがあれば使うことを自分に」
なるほど、たしかにそれをアファメーションしようとすると腰がひけるような妙な罪悪感がある。
「自分を害しようとする存在を、甘んじて受け入れる必要はないだろう?
防衛している場所、自分のよりどことを蹂躙しよう、踏みにじろうとする人間を許す必要はないだろう?
罰したまえ。それは当然の権利であり義務であり、それを自分に許可しなければ、自分という存在が成り立たない。
他人に踏みにじられることを許可するということは、自分を他人に売り渡すという行為だからだ。
そこに生の安穏はない。穏やかに暮らせない。平和に生きられない」
無意識に我慢する癖について。
タロットの15悪魔の姿がチラチラするので探索する。
今回は、悪魔というか、アルゴルが出てくる。
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手にはいりにくい高額なものを、欲しいと言ってはいけない。
値段が高いものコトを選ぶと怒られる。
「欲しい」ということ、願うこと、高次存在に要求すること、伝えることは別に罪ではない。
高次存在からしたら不思議で仕方ない。
願えば、意図すればいいだけなのに。
なぜ自分の願いを伝えること自体に罪悪感を持つのだろう?と。
「そうだね。まったくもって不思議だよ」とアルゴルが言う。
「まあそれも人間生活のなかの癖、思考パターンなだけなんだけどね」
叩かれなくても、キツい大きな言葉、汚い言葉は暴力だ。
とくに耳の良い人間にとっては、普通の人よりはずっとずっと。
聴覚を通じて、脳にこびりついている感じ。
もうそれらすべてを手放す、とアファメーションした。
本当に欲しいものを、欲しいと言っていいしやっていい。
なんとなく気が乗らないことは、結局やっても満足度が高くない。
そこそこの結果や成果は得られるし、たぶん普通だったらそれは「良い結果」に見えるかもしれない。
だけど自分にとって「こんなもんか」となんとなく不満が燻り残っている感じがある。
それは、常識からしたらお得で、良いといわれることかもしれないけど
自分にとって違うなら、やりたくなかったのなら、やりたくないのなら、やらなくていい。
「それは自分にとって不満だった。実は実入りの少ない行為だった」と感情をを覆していい。
自分は、別にそれがやりたかったわけではないのだ。やりたくなかった。
そういうことは、もう今後はしなくていいし、断っていい。
こういうことは何度もアファメーションした気がするんだけど
まだまだ残骸、残滓、こびりついているものがあったようだ。
で、今回このことに気づいたら、ここしばらく続いていた便秘が改善していた。
気がついていなかったけど、腸のほうはずっとこの「なんとなく無意識の我慢」に敏感だったのかも。
腸内細菌とか食べ物が水分量が、とかではなく。
自分が無意識に我慢して、やりたいことをやらず、やりたくないことをやっていることにたいして。
気づいたこと。
無意識に、こうしたいああしたいというのを抑えている癖がある。
言おうとしても、空気を読んでから「こんなことを聞いたら相手は気を悪くするのではないか」と不安、疑念、不信な感情をわざわざ自分でくっつけながら相手の顔色をうかがう。
相手に欲求、要求を言うと、怒られる、叩かれる、気を悪くされるというトラウマみたいなもの。
だから断れない。無視できない。
なんとなく、自分はそれをしたくないのにしてしまう。
もわっとしていた部分を、今日細かく認識できた感じ。
乙女座のサビアンを探索したら、今度はおひつじ座のサビアンを探索したほうが良いらしい。
「おひつじ座の5度」という言葉がでてくる。
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サビアンは「羽のある三角」
ちょっとドキッとする言葉。
「これをもっと活かしてください、大事にしてください」という言葉。
エンゼルさん。
「もっとやっていいの?」
「うーん、できてるんだけど、そこに対する認識と、自信のなさを手放すということです」
たしかに、自信はちょっとまだない部分がある。
知覚者と解説者でいうと、ここは知覚者ということか。
「そうですね。知覚者より、といいますか。
解説者は、もう十分育てましたから。
知覚者部分は、もっと自信をつけないと濁ります」
たしかに解説者が強いと汚す、濁る感じはある。
「なので、もっとおひつじ座5度を解放する、自由にするイメージや認識が必要ですね」
証拠を積み重ねなくても大丈夫。
他人の意見を聞かなくても大丈夫。
瞬間的に根拠なしで理解しても大丈夫。
経験的な分別に支配されなくても問題なし。
前例がないからといって疑う必要もない。
・・・このような姿勢でないと理解できない哲学的な概念はたくさんある。
松村潔のサビアン占星術にはそう書かれている。
「彼の本は、いい感じのガイドになるんですよ」とエンゼルさん。
具体的過ぎないからね。
昨日アジェナとトリマンを探索して出てきた女性。
感覚でいうと、カストルとポルックスのような関係性。
タロットの太陽か、と言われるとまたちょっと違う。
また、色々なスピリチュアル用語に当てはめられるのもなんか違う。
こっちは死すべきもの。あちらは不死のもの。
カストルとポルックス。
もしかしたら今後もちょくちょくでてくるかも?
とりあえず「彼女」と今後は呼ぶことにする。
アヌビスと仲良くする、というテーマでの探索。
セト神、という言葉がおりてきたので探索する。
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セトが擬人化されたイラストで出てくる。
「私は悪者にされた惑星の影」という言葉。
「火星、ではないの?」と聞くと「限定すべきでない」と言われる。
セトは戦争、力、兄殺し、軍隊、武器、砂漠、荒々しい力など。
嫌われ者、害悪、有害というイメージ。
「それに振り回されたくなければ、影を作らないことだ」
どうすれば?
「もうわかっているだろう。
すべてを許容することだ。
その部分、その側面を。
全惑星意識。惑星すべてを、個別の惑星のそのすべてを認識し、把握する。許す。
それが好みに合わないのなら使わなければいい。
兄を殺す力、身内を殺す力。
それは保有していても、使わなければ良いのだ。
それを悪だ、駄目なものだと決めつけて思考停止するから、振り回される。
そして気づけば、それを使わざるを得なくなる。
そういうものだ。
荒々しい力、忌まわしい力。
でも力は力だ。
それは、全てに存在する。各所に。そこここに。
好みでなければ、使わなければいい。休ませればいい。そこを。それを。
でもときに、火の粉を祓わねばならないとこもある。
その時だけ持ち出せば良い。
相手の喉に突きつければいい。
鋭利な刃物。短刀でも長い刃でも」
なるほどね。
「ここで決めてゆけ」と言われる。
荒々しい力、忌まわしい力、兄殺し、人殺し、暴力。そういう類の力の使い方、ポリシー。
決めてゆけ、と言われて、そういえばきちんと意図決定してなかったなと気づく。
常時振り回すのは好みでないけど、自衛のためにときにはその武器をちらつかせるのはありか。
自分からは振りかざして攻め込まないけど
迫ってきて嫌な距離まで近づいたら防衛のために使う。
そう決めたら、セトの姿がサラサラと細かい粒子になって消えていった。
アジェナとトリマン。
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アジェナ。
薄紫色の空、雲。
そのなかを飛んでいる。
以前とこかで見た光り輝く夜明けの空。
なんかピラミッドが見えるような。
さいきん松村潔がYoutubeでタロット世界を立体的にしてピラミッドが・・・みたいなことをいっていたが、それを意味している気がする。
薄い紫と、黄色がきれいな空。
ピラミッド付近に降りれたので、降りてみる。
ピラミッドと私の身長が同じ。
ピラミッドは模型のようにちょっとちゃちい。
それは、「そんなに神聖視する必要はありませんよ」という雰囲気をだしている。
逆に言えば、いつでもピラミッドを作りたければ作れば良い。あなたの、私の。
あなたがピラミッドを思いつけば描けば、それがピラミッドのさまざまな力を得る。
そういう感じ。
アジェナの探索だよね、と意図をおもいかえすと、タロット21世界の中央の女性がでてくる。
薄い感じの女性。「久しぶり」というかんじ。
「いつでも帰ってくればいいのよ。ここに」と言われる。
キロン、つまり人との距離感、自分の幸福と他人への助力との間で困ったら、悩んだら。
ここにきて、自分の中心を取り戻す。
それは8正義にも通じる。
7はいま、きちんと動いている。
いまは8に注力すべき、という言葉。
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トリマン。
宇宙空間のなか、薄い水色の水晶。
そのなかにも女性が見える。さきの女性と同じ?
「どちらも同じ。あなたと私が同じように」という言葉。
一瞬、深いところに意識がもっていかれて、全てを理解するが
その次の瞬間、その理解した内容を忘れる。
「それでいい」と微笑まれる。
これは型共鳴?というと「その言葉にした段階で、削ぎ落とされる。真理ではなくなる」といわれる。
たしかに、言葉にした瞬間に内容がいびつになる。
アジェナとトリマンは、表裏一体のコインみたいなもので
私とこの女性との関係も、そういうかんじのもの。
サビアンの本を読んでいたら自分のキロンのサビアンが目に入る。
この度数に相変わらず苦手意識を感じるので、探索してみる。
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探索先はおうし座の10度「赤十字の看護師」
「調整をすればいいのですよ」という声。
自分の幸せと、他人への貢献という二つの調整は、相変わらずうまくいってない気がする。
最近も、助けたらなんかまとわりつかれる、依存されることがあった。
そうするとガラッと態度をかえて切りたくなる。
「切りたくなっても良いのでは?」という声。
急に切りたくなるのは、良くないんじゃないかという考え。
そうならないように配慮とかコミュニケーションが必要なのでは?
「そこまで、あなたが考えなくてはいけないものでしょうか?」と言われる。
たしかに、そこまで考える必要もないか。
まとわりついてきそうな、依存して妙に頼ってきそうなひとは、モワッとしたものを感じる。
そのモワッとした人の扱いを、どうするか。
結局そこが決断しきれてないな。
その人がよくなるように、というのもエゴか。
「エゴではないが、そこに囚われるとエゴになるし苦しむ」という声。
たしかに、他人が幸せになるのを祈るのは良いが、自分の定義する幸せを押し付けるのはエゴ。暴力。
そのあたりの境が難しいなと感じる。
「完璧にやる必要はない」という声。
たしかにね。私は聖者でも救世主でもなんでもない。
神に仕えているわけでも神の子でもない。
道を求めていないし悟りを開くことも考えていない。
そもそも、対価すらもらっていないことで、なぜ私がここまで配慮しているのだろう?
その気に病む時間、エネルギーがもったいない。
「お人好し」という言葉。まあそうだよね。
でもどうしよう、ここまで対話して、結論がでてこない。
「完璧な結論をださなくていいんですよ。
とりあえず、今の対処としては、気になったら距離をおく、切るでいいのでは?
その時その時のタイミング、取りうる方法のなかで、自分が最善と思う方法で。
そこで一時的に感情に迷いがはしったとしても、長い目で見たら、自分が思ったことを思ったとおりに行動しているということですから、思考や感情や肉体にねじれはでてこない」
そうだね。
そもそも、キロンを難しい、克服に困難と思い込み過ぎたのかも?
お人好しと言われるけど、気質的にしょうがない。
でもまあ、そこで発生する縁とか幸福もあるだろう。
そういえば、キロンの惑星意識ってどんなんだろう?と意識をむけたら
「アジェナとトリマン」と言われる。
恒星探索か。
バーニーの夜の女王をもう一度再訪。
アヌビスと仲良くするのテーマのもとに。
すると「乙女座のサビアンを細かく探索する」というメッセージがおりてくる。
松村潔のサビアン占星術をもとに。
16度で魚座の影響が侵入してくるが、その前後あたりから。5度ずつわけたときの第四、第五グループあたりから。
乙女座は嫌だな、と顔をついしかめてしまう。
いままで散々乙女座をやらされてきたから。
ただ、これからに沿った然るべき乙女座に上書きが必要らしい。
たしかに魚座の侵入をした乙女座は、あまり頑なでイヤな感じはしない。
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度数をカウントすると、19、20、22、24でひっかかるのでそこを探索する。
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19:水泳競争
バーニーの顔。まだこの度数を受け入れられない要素がある。
なぜ受け入れられないのか?と自分に問うと、なにか後戻りできない感じがあるから。人間として。
でもそんなのとっくだよな。
ふとイシュタル、イナンナ、そしてエレシュキガルという言葉がでてくる。
「エレシュキガルを受け入れる」という言葉。
広大な夜の女王、死の女王、イナンナやイシュタルの影。
地上の明確な光が追い出した膨大な影。
その影を飲み込み、その影を操る。
20:キャラバン車
「自分にとって都合よく、でいい」とアファメーションする。
誰も彼も、じゃなくていいし、少数でいい。
22:王家の紋章
「王家の紋章を得ても良い」という言葉が出てくる。アファメーションする。
24:メリーと彼女の白い羊
「それでいい」という言葉、アファメーションする。
冥王星意識の探索ででた「アヌビスと仲良くする」のテーマのもと、バーニーの夜の女王を探索。
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来たよ、とバーニー(以下略)に言う。
顔のドアップを下から見上げる感じ。
バーニーはツンとしている。
そこにリリスが交じる。
「本当は仲良くなんてないくせに」という空気。
リリスか。リリスは確かになんか苦手。
リリスが乙女座だから、なんかよくわからなかったんだよな。
でもちゃんと探索していなかったんだよなそう言えば。
サビアンはなんだっけ?と調べ直したら「水泳競争」。
あれ、こんなだっけ?と思い、もういちどバーニーを見たら
ふふん、っと笑っているように見える。
それみたことか、といわんばかりの顔。
もっと、無意識領域を、大胆に取り扱いなさいよといいたげ。
競争、ゲーム、スリル。大胆に。
魚座が侵入した乙女座のサビアン4グループの奇数の19は、1でもある。
魚座がもたらした水、川、もしかしたらエリダヌスも?
そこをもっともっと、挑発的に自由におよげと言わんばかりのバーニー、もといリリス。
まあ火星木星も乙女座のサビアン第三グループだし。おしてはかるべし。
ミンキールとムリフェインとで、うみへび座を使う。
象徴としてのうみへび、うみへび座。
光の線でざっと描かれたようなうみへびがでてくる。角ばっている。
「このうみへびを使って、様々なところにいけるよ」というミンキール。
それはH6以上、H3、H1、さらにその上。
別の生命の樹、別のコスモス。
人の意識や自我が耐えられず溶けて溶解するような、そのさきへ。
肉体をもつ自我のままでいくと、パァンと見えない黒い障壁のようなものにはね返される。
「自己防御機能だね」と言われる。
このまま突っ込んで彼岸にいくと、人間としての社会性とか諸々が溶けて消える。
それは社会的な不能、死のようなかんじ。
非物質存在からしたら、別にそれでも良いことが多いので、口を挟まないことも多いようだけども。
もしくは、人間が不幸に慣れきっているので、不幸や修行モードで生きる事に口を挟めないなど。
「君の場合は違うと意図しているから
意識を絞って、一部を旅に使えばいいよ」
そうすると、肉体感覚で捉えられない。
でもそれでいい。
自分の意識の一部がうみへびを使うことで、新しいものを持ち込める。
新しいもの、古いもの、永遠なもの、伝統的なもの、奇妙奇天烈なもの。
多様性、多産性、拡大。
それが人間としての生を豊かにする。
そのために、うみへび座を使う。
エリダヌスの川をわたって。
ミンキールの恒星探索。
おおいぬ座と勘違いしていたが、ミンキールはうみへび座の恒星。
で、おおいぬ座でムリフェインが必要らしい。
変性意識で、ミンキールのマザーシップ(お茶する場所)に行く。
---
ミンキールのマザーシップ。
宇宙空間の真っ暗な中でのカフェテーブル。
いつものアヌビスのような姿のミンキール。
あとムリフェイン。久しぶり。
姿はパキラとかバンブーみたいな竹っぽい直立する観葉植物。
我ながらムリフェインの造形が雑。まあいいか。
「本質が損なわれていないのなら、どう見えても良い」というムリフェインからのフォロー。
久しぶりだけど、今回は連想的にここに来たんですけど、それ以外に特に用事は無いんですけど、というと
「おおありだよ」というミンキール。
過去記事に書いたリヴァイアサンについて。これをやる時期らしい。
https://blog.goo.ne.jp/myrtusash/e/49e6d039d0db670132aabadb356ce693
えっと、ミンキールを介してうみへび座を使うということをやるということ?
でも星座ってあんまり恒星に関係ないみたいなことを松村潔もいっていた気がするけど、そのへんはどうなん?と聞くと
「正確には、うみへび座であるミンキールを介して、抽象的な、象徴的な『うみへび座』というロゴスとか概念とか、言葉とか集団意識につながった。
そのエネルギーを介して、象徴としての『うみへび座』を色々使える」
ということらしい。
リヴァイアサンはどうするの?と聞くと
「あれはもう手下だけど、人間の集団無意識が作った存在だから、これからやろうとしていることはできないんだよね」と言われる。
逆にリヴァイアサンを使うときってどういうとき?と聞くと
「人の感情や集団意識を掻き荒らしたり、恐慌状態にしたり、かきまわしたり、食い荒らすときかな?」という。
さらっと言うな、と思ったけど「まあ、あの存在を大悪魔として、せっせと感情や意識をみついでいる人間が世界に多くいるからね」ということ。
まあ、たしかにな。
「悪感情をせっせと投入すると、その意識の対象にエネルギーを注いでいるだけ、顕在させるだけということを多くの人が未だわかっていないからね」とさらっと言う。
まあ、そうだねとしか。
で、そこにムリフェインがかかわるのは、「うみへび座」を操るのに適任の操舵手みたいな感じらしい。
うみへび座を扱うのは、簡単に言うとギリシャ神話の神の乗り物に乗るというイメージだけど、ヴェシカパイシスなどを通じてもっとおもしろいことが色々できるらしい。