さいきん動画をつくっていて気づいたのが、自分が何かを作ったり創ったり芸術的な行為をしているとき、特に喜びとか高揚感みたいなものはない。
何かしているとき、なんとなく頭にもう完成図ができていて、それを再現するために、自分でできる範囲の技術を組み合わせてつくっているだけ。
なんだろ、こんなもんでいいの?こんな安易なものでいいの?という気がする。
でも、じゃあその反対に、苦痛とか苦肉の策というか、「産みの苦しみ」って必要なの?と考えると、べつに必要じゃないし、産みの苦しみがあるから素晴らしい作品ができたことはない。
自分で後から見返した時、「あ、案外わるくないな」とおもうものを作ったときは、だいたい上記の感じで安易にできる。
でも、ひとつの技術は別にこれだけでご飯を食べられるわけではない。簡単な技術。
だけど、動画を作ってアップしたことない人からしたら、静止画でもあっても、画像を用意し、音を録音して編集して(すこしだけど)変換してアップロードして…なんて、想像できないほどの高い技術をもっているひとに見えるんだろうなあ。
---
さいきんいろいろ作っているのは、余計なことに頭をつかわないため。
余計なことに頭使うくらいなら、こういうのを作っていた方がだいぶマシだと思う。けど上述したような創作姿勢なので、こんなんでいいんか?とか、もっと技術をあげなければ!みたいな気持ちにもなる。けど、私の場合は技術を闇雲にあげても、人生に有利ではなかったりする。必要なら、プロにまかせれば良い。