『 解離性障害は、嫌なものを見たくないということで、身体の中のどこかに、逃げ込むことだと考えると、この場合、人間の居住可能地域が少なくなる。フラワー・オブ・ライフの場合には、Cの樹の中でも、自我のありかが増加して、さらにBの樹やDの樹が増えていくので、人間の居場所が増える。
自我の拠点が増加した場合、ヴェシカパイシスによって、異なる円に移動した時、記憶の受け継ぎ、翻訳が行われるので、これは体内の重要な各所を血液が移動することに似て、一気に記憶が失われることはないが、しかし記憶の変容は生じる。
この記憶の受け継ぎについては、たとえとして言えば、水星がお腹が空いている時、水星は自分がお腹が空いていると言う。太陽に自我が移動した時には、「水星はお腹が空いているようだ」というふうに視座が違ってくるということだ。
以前テレビで見ていて、解離性同一性障害では、Aという人格が食べても、Bという人格に移ると、Bは何も食べていないというので、これだとヴェシカパイシスのよる記憶の伝達というものがないのだ。解離性障害が、回避行動だとすると、追っ手を避けたいので、ヴェシカパイシスの橋を絶ちたいのだと思う。誰でも毎日睡眠をしており、この時には肉体と一体化した日常自我から、アストラル体やメンタル体にフルトランスで移動しているので、複数の人格の切り替えというのは、誰もが親しんでいるものだ。ヴェシカパイシスの橋がうまく働いていない場合には、夢は目覚めた後には覚えていない。』