小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

熟柿を樹ごと喰らうに想う=その不思議な感慨

2011年10月13日 | 自然・植物・昆虫
女房殿の実家は、朝霞でも江戸時代から、何世代も続く、百姓である。その古びた仏壇の過去帳には、宝暦(18世紀の半ば頃)という元号も、見られる程である。屋号は、その昔、荒川を遡ってきた京の都からの船が、自宅にあった大きな松の木の根元に、係留されたことから、「松の木」と名付けられ、代々、生産する野菜の箱には、今でも、刻印されているそうである。私が、結婚した頃は、大和芋を生産していたが、かなり、重くて、重労働であるために、その後、ほうれん草や人参に、栽培を変更して、今日でも、義理の父が亡くなった後も、女房殿の弟夫婦と義理の母が、その後は、甥が、営農を継承し、専業農家として、今日に、至っている。ここの敷地にあった大きな旧い紅葉の樹は、種を、小諸へもって行き、播いたところ、山紅葉本来の土地柄にあったのか、何本も大きな樹に、今や、成長していて、秋には、それは素晴らしい真っ赤な紅葉を楽しませてくれる。他方、庭の一角に、3-4本程、高さ2メートル程度の柿の樹が植えられていて、真っ赤に、柿が熟している。既に、野鳥に、ついばまれたり、完熟しすぎて、落柿してしまったものやら、様々であるが、熟柿を、樹ごともいで、そのまま、喰らうと、何とも絵も言えぬような甘い汁が、種とともに、その口に充満する。荻窪の家にも、私が結婚した当時、祖母が、種から育てた柿の樹があり、それを秋に、収穫して、ビニール袋へ入れ、アルコールを噴霧し、渋抜きをして、熟柿をよく、スプーンで、丸ごと食したものである。ベトナムでも、柿が、石灰にまぶされて、店頭に並んでいたのを見たことがある。渋柿だったのである。その子孫は、種から、小諸に植えたが、どうも、根が張らずに、未だに、成長が遅い。桃栗3年、柿8年といわれているが、どうしても、実がなるところまでは至らない。子供の頃、友達の家で、大きなビワの木に登り、たらふく、贅沢に、ビワを食べては、その大きな種を、ベッペ、ペッペと吐きだしたが、柿を喰らいながら、そんなことも想い出した。柿の枝は、確か、折れやすいので、注意しろと、よく言われた記憶が、今でも、残っている。ほおばりながら、遠い昔の不思議な感慨に包まれた。