小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

青鞜社100周年に想う=平塚雷鳥と女性解放問題

2011年10月01日 | 社会戯評
信州、佐久市望月に在住している「もろさわようこ」女史(歴史を拓く初めの家)も、今年で、もう、86歳になられるそうである。信濃毎日新聞に、「信州のおんな」の蘭で、「青鞜社」と、平塚雷鳥のことを、論じている記事を見かけた。1811年(明治44年)に創刊された女性雑誌には、有名な言葉である、「原始、女性は、太陽であった」が、巻頭を飾り、表紙には、後の高村智恵子(高村光太郎の妻)が、デザインし、又、与謝野晶子が、詩を掲載したりしていた。わずか、5年間ではあったが、神近市子や、野上弥生子、後には、伊藤野枝(大杉栄とともに、甘粕大尉により、殺害される)等を輩出し、女性選挙権、堕胎論、売娼制度、過酷な長時間労働と低賃金制度、等の社会問題を、女性解放運動として位置づけて、大正初期にかけて、活動したものである。形こそ、替えてはいるが、未だに、共通する課題は、あれから、100年経過した今日でも、継続課題である。放射能の危険を、ネットで、警告、結集した若い母親達が、厚生労働省を、突き動かしたように、新たな潮流が生まれることを期待したいものである。それにしても、戦後の原水爆禁止運動や、杉並区から、発生した子供を守る会や、母親大会も、女性誌の衰退とともに、どこに、消えてしまったのであろうか?