空籠を かへしてもなき 玉松の 実の形代を 泡に描く国
*この原稿を書いているのは、2月14日です。ずいぶんですね。わたしたちの仕事はだいたいこんなものだ。これが発表される頃には、だいぶわたしの仕事は終わっていて、次の天使が違う表現を試みていることでしょう。
まあそれはそれとして、この歌は、ニュースで朴槿恵の顔を見て詠われました。まだ大統領から降ろされていないが、嫌なことをされまくっている姿を見ている。わたしには、韓国の霊界が彼女を攻撃している様が見える。
あの国の人間は、激しい嫉妬を持っている。あの女性の美しさを否定したくて、あまりに馬鹿らしいことをしているのです。こんなことばかりしていては、韓国はあと30年も持ちません。
「空籠(からかご)」の「から」は、もちろん韓国の「韓(から)」を意識しています。「玉松」とは松の美称です。「形代(かたしろ)」は身代わりという意味です。
空っぽの籠をひっくり返しても、出て来はしない美しい松の実の身代わりを、泡のようなものに描いている、そんなことばかりしているのだ、あの国は。
本当に大切なものを否定して攻撃し、ありもしない幻の幸福を、はかない泡のようなものに描いている。その泡がはじけるたびに、彼らはその責任を押し付けられる誰かを探す。自分がしたことがどういう結果をもたらしたかなどということを、正視したくないのだ。
松というものは優れて美しい植物です。人の心の美を掻き立てる。美しく生きていかねばならないという心を掻き立てる。それを馬鹿にしてしまえば、人は美をおろそかにして、いやなことばかりするようになる。人として醜いことをしても平気になる。
松のような美しい存在がいるからこそ国はなっていくのだ。そういう存在をなくしてしまえば、国は痛いことになるというのに、松が生えてくればみんなで嫉妬してつぶしてしまうようなことを、馬鹿はやる。そして国をだめにする。
どこかで馬鹿をせき止める工夫がなされなければ、運命は怒涛のように破滅に向かって流れていくでしょう。
誰かが何とかせねばならない。だがその誰かを、馬鹿が全部だめにする。
政治体制というものは、そういう現象を、頑丈に防げるものでなければならない。