玉をかき 小夜啼鳥の たまのねを とらへむとする 猿神の群れ
*「かく」にはいろいろな意味がありますが、ここでの「かく」は、高くかかげる、とか人目にさらす、とかいう意味です。要するに、見せつけるわけですね。「たまのね」は「魂の音」も「玉の音」もある。魂の声という意味にも、玉のように美しい声という意味にもできます。また「根」にすれば、根源という意味にできる。魂というもののまことという意味にもとれるでしょう。
美しい宝石をこれ見よがしに高くかかげ、小夜啼鳥の真の魂を、捕まえようとしている。猿神の集団が。
小夜啼鳥(さよなきどり)とは、アンデルセンの童話に出てくる、美しい声で啼く鳥です。ナイチンゲールと言って、羽色は薄茶がかった灰色をしていて、とても地味な小鳥ですが、ヨーロッパではとても愛されているらしい。
日本ではその声を聞くことはできませんが、アンデルセンの童話を読んでいると、どんな美しい声なのだろうと、想像をかきたてられますね。
そのお話によれば、中国の皇帝が、自分の庭園に小夜啼鳥という美しい歌を歌う鳥がいると知り、それを連れて来させるのです。小夜啼鳥は皇帝の前で美しい声で啼き、皇帝の目に涙が流れたことを喜び、皇帝を愛してくれるのだが、やがて皇帝は、宝石で飾った作り物の小夜啼鳥に夢中になり、本物の小夜啼鳥を失ってしまう。しかし機械仕掛けの小夜啼鳥は壊れてしまい、皇帝は重い病気になってしまう。すると本物の小夜啼鳥は帰って来て、美しい声で歌い、皇帝の魂を元気づけて、病気を治してくれるのです。
あの人らしい美しい話だ。
結局は、形だけ真似した愛では、魂を救うことはできないという意味なのです。本当の愛が、魂の自由な真実で歌ってくれる歌でなければ、死に赴こうとする魂を救うことはできない。美しい魂というものは時に、小夜啼鳥のようにとても地味な姿をしている。
宝石や絹で着飾った人形のような美女よりも、薄汚い服を着た自分のかわいい女房の方が、自分を助けてくれるのだという意味にもとれますね。
「猿神(さるがみ)」というのは日本の妖怪です。身の丈2メートルはある大猿で、非常に好色で、女ばかりを狙い、百匹も手下がいるという。怖いですね。まあ言いたいことはわかるでしょう。
アンデルセンの童話では、小夜啼鳥は自分の魂の自由を保証してくれと言います。そうすれば、なんでもうまくいくでしょうと。それは、わたしの愛を信じてくれれば、わたしの真実を、いつでもあなたのために表現してあげましょうという意味なのです。愛は、籠の中になどとらえることはできない。美しいからと言って、宝石などを餌にして捕まえようとしても、寄って来はしない。
本当に欲しいのは、宝石ではない。同じ玉のようなものであっても、愛する人の目に灯った涙の方なのだ。
正直な心を見せてくれさえすれば、小夜啼鳥はよってきてくれるものを。
猿神などというものに、そんなことがわかるはずもないのです。