昨年の10月17日(火)は、前日の久留米市に続き、福岡県の郵便局訪問でした。訪問したのは、小竹町と飯塚市の次の局です。
新多、小竹(以上、小竹町)、頴田、目尾(しゃかのお)簡易、飯塚鯰田、庄司簡易、幸袋、飯塚愛宕簡易、新飯塚駅前、飯塚、片島、飯塚川津、飯塚二瀬、飯塚横田、飯塚駅前、忠隈、飯塚菰田
17局の訪問です。小竹町は完訪となりました。トップの写真は、「しゃかのお」とは読めない、10224局目の目尾簡易郵便局です。

福岡の難読地名にも登場するようです。
小竹町で、「懐かしい。ベンチレーターがある建物が有る。下水道が整備されていないのかな?」と思ったのが下の写真です。
ちゃんと下水道は整備されていましたマンホールに汚水と書かれています。今は使われないベンチレーターがそのまま残っているようです。
マンホールの真ん中の花は「ひまわり」で、町の花です。
「この雰囲気は街道筋だな。」と思ったのが、下の写真です。
正解でした。長崎街道でした。
飯塚は、長崎街道の宿場町だったそうです。
味噌や醤油の醸造所が多く有りました。
炭鉱が盛んになった明治、多くの人が飯塚に住んだことから、味噌や醤油の需要が有り、こうした醸造所が多く有るのでしょう。
筑豊の炭鉱王というわれたのが、伊藤伝右衛門氏です。その再婚相手が歌人の柳原白蓮さんです。NHKの朝ドラマ「花子とアン」で知りました。その伊藤伝右衛門邸が有りました。
伊藤伝右衛門氏は、再婚にあたり、屋敷を改築したそうです。京都から宮大工をよぶなど、贅を尽くした改築だったようです。
穂波川に架かる橋から潜橋が見えました。
四国には多いですが、九州にもあることを知りました。
飯塚郵便局には、飯塚宿住吉宮跡が有りました。
飯塚は、長崎街道の宿場町で交通の要衝でした。加えて、水運の重要拠点だったそうです。そこで水運の安全を祈願する住吉神宮がここにあったそうです。その後、飯塚市役所となり、さらに現在の飯塚郵便局になっているそうです。