5月14日(日)、城山公園から下りてきた私は、島津斉彬公、島津久光公、島津忠義公の銅像があるという公園に向かいました。
そこにあった看板がトップの写真です。なんと島津斉彬公は、1657年(安政4年)に当時、鶴丸譲二ノ丸の庭園だった探勝園から600m離れた、鶴丸城へモールス信号による電信を行ったそうです。とにかく西洋の技術を取り入れようとした、島津斉彬公らしいです。それを支えることができた、薩摩藩の財政はかなり豊かだったのでしょう。
その探勝園は、現在は公園です。1917年(大正6年)に島津斉彬公、島津久光公、島津忠義公の銅像が建立されました。
洋装は、島津忠義公です。
島津久光公です。
そして、島津斉彬公です。
鹿児島市内には、西郷隆盛公と並ぶ存在の大久保利通公の銅像も有ります。甲突川の高見橋のところです。