私が横須賀市に観光で行ってみようと思った理由のひとつが、江戸幕府には青い目の旗本がいたことに興味が湧いたからです。三浦按針(ウィリアム・アダムス)です。日本橋に屋敷が有り、横須賀市の逸見(へみ)に250石の所領を持っていたという史実です。現在、その遺言により、知行地だった横須賀市逸見に供養塔が建てられています。そこへ行ってみたいと思いました。
塚山公園の奥に進むと、その按針塚が有りました。
解説版が有ります。
三浦按針は、オランダ東印度会社が派遣した艦隊の水先案内人だったそうです。1600年(慶長5年)、艦隊は嵐に会い、三浦按針の乗ったデ・フリーデ号だけが、九州に漂着しました。砲術や航海、天文学に優れていた三浦按針は、徳川家康の外交顧問になったそうです。造船の知識も有り、伊豆の伊東で、西洋帆船を健造したそうです。
急な階段を昇ると見えてきました。
二基の宝篋印塔です。凝灰岩でできた、右塔が三浦按針のもの、安山岩でできた左塔が妻、ゆきのものだそうです。トップの写真です。
木々に囲まれて、ひっそりと按針塚は佇んでいます。異国の地に自らの意志で、ここに安住しているのでしょう。