日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

店頭販売の生き残りは ”おもてなし”

2016年06月15日 09時21分46秒 | 日々雑感
 世の中のグローバル化、社会の効率化の徹底および情報技術(IT)の普及により、ネット通販が対面販売を圧倒し始めている。中国のネット通販の大手のアリババも、国内の隆盛を背景に、日本企業が同社のサイトに出店するように積極的な勧誘を始めたとのことだ。中国人観光客の日本での爆買いはすっかり有名になったが、ネット通販もそれに並ぶ勢いとのことだ。

 個人商店を始めとする対面販売業者は、このようなネット通販の勃興を指を加えて見つめているだけでは早晩死を迎えることになる。そこでいろいろ知恵を絞り生き残りを模索しているが抜本的な解決策は見出されていないようだ。地方都市の小売店は、郊外の大型店舗だけではなく、ネット通販も敵としなくてはならず、四面楚歌状態である。

 インターネット上には、個人商店の生き残る道は、職人的な技能、豊富な商品知識、接客のプロ、といった魅力のある商店主に自らがなることである、等の記述がある。間違いないと思うが、それはおいそれと身につく魅力ではなく、長年の努力・蓄積が必要である。一度廃れた状態から立て直すのは並大抵の努力では済まない。

 また、大型店舗に対抗するため個人商店は商店街として、イベント開催等により活性化を図ろうとの試みも各地で行われる。人気アイドル等を呼ぶイベントは、瞬間的には良いだろうが、一過性に過ぎない。この点、輪島や八戸の朝市は伝統があり、いつも沢山の人で賑わうとのことである。基本的には、直前に採れた野菜や魚介類を早朝持ち寄り販売するので新鮮であり、しかも収穫者から直接販売されるので安いという大きな特長がある。この点、ネット販売も敵わないだろう。

 しかし、朝市は常設ではないとの欠点も併せ持つ。大抵の場合、朝市は土日やその他の休日の日に開かれる。現役を引退した高齢者は、休日以外の交通機関が混雑しない日に出かけると、まず朝市にはお目にかかれない。朝市の賑わいは即交通手段の混雑となり、余り高齢者向きではないが、おまけや値切り等、他では出来ない”おもてなし”を味わうことが出来る。

 生産者自らが小売業となること、小売業者自らが生産者となること、兎も角両者が密接な関係を持つことが今後の生き残り策なのであろう。ここにおいては、効率化は問題外としなければならない。

 大型店舗やネット販売は、大量の商品を少人数で効率よく扱い利益を上げることを目的とする自由経済の行きついた姿である。そこにおいて、手間のかかる ”おもてなし” は二の次であり、買い手と売り手の関係は極めて薄い。

 最近、大型店舗とは対極にある御用聞きや移動販売のサービスが始まったようだ。御用聞きは、江戸時代からあったようであるが、昭和20年代まで続いていた記憶がある。スーパーマーケット等の発展により廃れていったと思われるが、高齢化社会で復活する兆しである。移動販売は、野菜、魚などの生鮮食料品を小型自動車で販売するサービスだが、高齢者向け、あるいは過疎地において有望であろう。

 いずれの場合も、顧客1人1人の要望をしっかり把握した対応が必要であり、大型店やネット通販では真似できないが、効率が悪く、儲かるサービスではないだろう。しかし、これからの社会にとって必要なサービスとなろう。個人商店の生き残る道は、朝市のような安価、新鮮を売りにするか、個人としてのつながりを重視したサービス以外は思いつかない。兎も角大儲けするような話ではなく、ボランティア精神がなければ長続きしない。

 大型店舗は、例えば家電の「ビックカメラ」とカジュアル衣料の 「ユニクロ」は、ユニクロの衣料品を身に付けたマネキン人形にヘッドホンなどの電気製品を持たせるなど、コラボレーションを意識したディスプレイで集客を目論んでいるそうだ。この程度のことでネット上の宣伝に勝負できるか分からないが、手をこまねいているわけにはいかないだろう。

 しかし、これからは、大型店舗はショ-ルーミング(showrooming)の流れに、手を貸しているだけとの気がする。ショ-ルーミングとは、顧客は現物を店舗で確認し、実際はネットで購入するとの意味である。

 郊外に出現した大型店舗は、駅前通りをシャッター商店街に変えた。大型店舗は、暇を持て余す高齢者や電子機器を扱えない人にとって快適、便利であり、店舗に併設された娯楽施設は魅力的である。大型店舗はしばらくは我が世をおう歌するであろうが、時代はどんどん変わっていく。いつまで続くであろうか。
2016.06.15(犬賀 大好ー242)

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