日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

食の帝国主義

2015年04月11日 10時10分07秒 | 日々雑感
 TPP(環太平洋パートナシップ)交渉はまとまるようでなかなかまとまらない。現在、知的財産権が主要な焦点のようであり、農作物に関してはほとんど決まった感である。交渉がまとまれば、農作物に関しては自由化が大きく進むようである。
 3月24日付け朝日新聞のオピニオン欄で、京都大学の准教授、藤原辰史氏が “自由貿易の急激な進展が、遺伝子組換え作物の生産や輸入の規制を、今以上に緩和する危険性を指摘” していたが、既に恐ろしいことが秘かに浸透していると懸念される。すなわち「生態学的帝国主義」である。
 スーパーマーケットで商品の袋をよく見ると “この商品には遺伝子組み換え作物は使用しておりません”の表示が記されている。わざわざ表記するとは、逆に遺伝子組み換え作物がかなり出回っていることを想像させる。遺伝子組み換え技術により、病虫害や旱魃に耐性をもたせたり、収穫量を増大させたりすることが出来るため、一見神の恵みの技術のようであるが、とんでもない話も含んでいる。
 米国モンサント社は元々農薬メーカとして有名であるが、当社の除草剤はよく効くとして世界中で使用されている。しかし、農作物も雑草も無差別に枯らす性質を持っているため、遺伝子組み換え技術により農作物を先の除草剤をかけても枯れないように工夫した。しかし、その農作物の種子は一代限りの性質で、すなわちその農作物から採った種子には耐薬品性は失われているため、翌年も種子を同社から購入せざるを得ないのだそうだ。モンサント社は大儲けできる訳である。
 2050年には世界の人口は91億人と現在より20億人増えると見込まれている。このような大勢の人間を食べさせるためには食料の大幅な増産が必要となる。そこで、一つの解決策として遺伝子組み換え技術が登場することになる。
 モンサント社のようなバイオ企業は遺伝子組み換えにより病害虫や旱魃に強い農作物を作る。そこまでは立派な行為であろうが、次に儲けのために、更にその種子を一代限りとなるように遺伝子操作等し、翌年も再度種子を買わなくてはならないようにする。これが、バイオ企業の基本戦略のようである。バイオ産業は遺伝子操作に関する深い知識や設備を必要とするため、多額の投資を必要とし、成果を特許で押さえる。成果は多大な利益を生み、次の投資ともなり、必然的に寡占あるいは独占状態になる。すなわち「生態学的帝国」が出来上がる訳だ。
 その帝国の支配下においては、選抜された少数の種子を通じて社会や地域を均質化させる。結果、これまでの自然界の多様性は失われる。均質化は管理・支配に都合がよいが、気候の変化や新たな病虫害に対しては極めて弱い。一旦、「生態学的帝国」の傘下に入り、遺伝子組換え作物の種子に頼りきりになった場合、環境変化等によりかえって困窮する場合が起こっても、また法外な値段の種子を買わされても、帝国の支配から抜け出すのは極めて困難である。(犬賀 大好-119)

線虫によるガンの発見を想う

2015年04月08日 09時58分10秒 | 日々雑感
 体長約1ミリの透明な動物「線虫」が、がん患者とそうでない人の尿のにおいを精度よく識別できたと、九州大などのチームが3月11日付の米科学誌「Plos One」に発表した。ガンの検診法として現在、MRIを始めとして各種の方法がある。しかし、いずれの方法も時間がかかる上、費用が高いとの欠点があるが、本方法は識別には尿1滴で十分であるとのことで、費用、時間が大幅に減らせる可能性があるらしい。すばらしい発見である。
 線虫には、回虫等の寄生虫をはじめ、人間に関わりの深いものも多いが、自然界で自由に生活している方がはるかに種数が多く、その研究が進むにつれ、種類数はどんどん増加しているので、どれくらいの種数があるかははっきりとは言えない状況であるらしい。その最大限の見積もりは、なんと1億種という説もある。これが本当であれば、これまで種類の数では最大と思われてきた昆虫の種数を大きく抜き去り、地球上の生物種の大半は線虫が占めていることになる。
 犬の嗅覚によるガンの検知の話題がしばしばメディアに登場し、どうもガンには特有の臭いがあるらしいと知られているが、線虫にこの能力があるとは驚きである。犬は訓練しないとその嗅覚を利用できないが、線虫は訓練無しにその行動パターンからすぐに分かるのだそうだ。今回用いられた線虫はある種の線虫と思われるが、数多ある線虫の中にはもっと嗅覚の優れた線虫が存在するかも知れない。危険ドラッグや麻薬を嗅ぎ分ける線虫も居るかも知れない。今後の展開が楽しみである。
 また、鮭や鰻が成長して生まれた故郷の川に戻る帰巣本能は、故郷の僅かな臭いを嗅ぎ分ける嗅覚によるものだそうだし、蜂や蟻はその社会生活にフェロモンの臭いが関係していると言われ、嗅覚に関する自然界の驚きは数多くころがっている。これらの嗅覚を人間のためにどうやって役立てようかと想像が膨らむ。
 ガンの臭いに線虫が反応する理由は、今後の研究により明らかにされるであろうが、突き詰めれば化学反応の一種であろう。ガンの特有な臭いも、分子構造によって表されるであろうが、そうなれば線虫に頼らない、もっと簡便な検査法も分かるかも知れない。
 自然界の生き物には必ず存在理由があり、人間との何らかの関わりがある。蜥蜴のしっぽの再生やプラナリアの自己再生等、自然界にはまだまだ不思議な現象が隠されている。(犬賀 大好-118)

死の迎え方を考える

2015年04月04日 09時32分05秒 | 日々雑感
 人間はいつか死を迎える。その際、苦しまずに死ぬことを願う。死の直前にはドーパミンと称するホルモンが分泌され、誰でも安らかに死を迎えることができるらしいが、問題はドーパミンが分泌されるまでの間がどのような状態にあるかである。ガンも種類によっては、何ヶ月も死ぬような苦しみがあるとのことだ。死の前に死ぬような苦しみなんて真っ平ごめんだ。
 夏になると、汗ばんだ肌に蚊が血を吸いにやってくる。手のひらで叩き潰すと、真っ赤な血が拡がることがある。これを見ながら、「この蚊はおいしい血を吸いながら、至福の瞬間に死を迎えたんだ」と思い、このような死に方が理想的と思ったことがある。老人が理想とする“ピンピンコロリ”の中でも、理想中の理想であろう。
 今回、フランスの北東部での飛行機事故において、8分間の急降下の後、アルプスに激突し、150名が亡くなった。“急降下の最中に乗客はどのような状態であったであろうか“の疑問に対し、テレビに出てくるコメンテータによって異なるが、10分間で2000メートル程度の降下はよくあることで、ほとんど気が付いていなかったと思われる。ボイスレコーダでも、衝突直前に悲鳴が記録されているとのことであるので、多分山肌が直前に迫ったことを窓から見て、悲鳴を上げ始めたと推測できる。亡くなった人々は真に気の毒ではあるが、せめてもの慰めは、一瞬の内に苦しまずに死を迎えることが出来たことであろう。老人であれば、理想中の理想の死に方である。
 さて、死後の世界はあるのであろうか。最近NHKで、臨死体験に関する特集があった。臨死体験は、実際に死ななかった人の体験談であるので、実際に死んだ人がどうであったかは、永遠に分からない。臨死体験とドーパピン分泌の関係はよく分からないが、その分泌は死の直前の生理現象であろうので、臨死体験とは関係ないように思える。
 死後の世界があるかないかは永遠に分からないであろうが、死後に安らかな世界が待っていると信じたほうが、安らかな死を迎えることが出来るであろう。“死後の世界はすばらしい。その証拠に誰も行ったきりで、戻ってこない”とのジョークは何度聞いても感心する。(犬賀 大好-117)

一票の格差問題を想う

2015年04月01日 11時18分24秒 | 日々雑感
 昨年12月の衆院選は有効か、無効か、弁護士グループが全国の14高裁・支部に計17件の訴訟を起こしている。
 最高裁は2009年の衆院選を、最大格差2.30倍を「違憲状態」と判断し、「一人別枠方式」が格差を生み出す要因として批判した。2012年の衆院選でも同方式を残したまま実施され、最大格差も2.43倍に広がった。最高裁はやはり違憲状態の判決を下し、やはり同方式を厳しく批判した。しかし、いずれの裁判において最高裁は選挙無効の訴えを却下した。
 今回判断される2014年の衆院選も、同方式を残した実施されたが、小選挙区を0増5減し、最大格差を2.13倍に若干ではあるが縮めた。結果、東京高裁の合憲の判決を始めとして、違憲や違憲状態の判決が下された。 結局は最高裁の判決を待つことになるであろうが、十中八九最高裁は違憲状態ではあるが選挙有効の判決を下すであろう。
 一票の格差に関し、3月20日朝日新聞オピニオンで、元最高裁判事の宮川光治氏は「我が最高裁は、先進国の最高裁判所や憲法裁判所に比べて、国会や内閣に対してもっとも敬譲を示してきた」と言っている。元最高裁判事らしく“敬譲”と難解な言葉で表現しているが、庶民の言葉で言えば“おもねる“であり、”媚び諂う“ことである。三権分立の原則を忘れ、司法の責任者としての誇りに欠けているように思う。政府も”司法の長の首は俺が握っている“と、高をくくっているに違いない。
 一票の格差を完全に廃するためには、すべて全国区にし、得票数の多い順に当選させる方法しかない。この場合、地方の声が届かなくなる等の不利益が大きくなるため、現行の予め一県に一名を割り当てる「一人別枠方式」となっているのであろうが、この方式では必然的に何らかの格差が生ずる。問題はその格差がどこまで許されるかであろう。現在最高裁は2倍までは許されるとしているようであるが、この数値に理論的あるいは絶対的な根拠は無い。単なる感覚的な値に過ぎない。ここに最高裁の判断の難しいところがあると思うが、違憲判決による政治の混乱等は気にせず、三権分立の姿勢は貫いて欲しいものだ。
 やはり同オピニオン欄で、放送大学教授の御厨貴氏のコメントが興味深い。もともとこの格差問題では、一人一票が実現できても世の中大して変わるものでないと世間の関心は低い。このムードは、特定秘密保護法にしても集団的自衛権の解釈変更にしても同じである。いずれの問題も、実は世の中を大きく変える問題なんだが、今のところ大して変わっていないからいいんじゃないかみたいな空気がある。以上のコメントである。確かに指摘の通りであり、実に耳に痛い。
 安倍首相は何かの席で、自衛隊を「我が軍」と言ったとのことだ。日本では、憲法上軍は禁止されているはずであるが、いつの間にか立派な軍を有するまでになっている。その時代、時代で僅かずつ解釈を変更することにより、かくも変貌するものである。安倍首相のキャッチフレーズである“この道しかない”が“この道はいつか来た道”にならないことを願うばかりである。(犬賀 大好-116)