日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

司法による原発差し止め

2015年04月25日 09時35分32秒 | 日々雑感
 福井地裁が4月14日に関西電力、高浜原発3,4号機の運転差し止めの仮処分を下した。先に高浜原発3,4号機は今年2月原子力規制委員会から、再稼動に必要な安全審査で新基準に適合しているとの判断を受けている。今回の決定は、過去10年だけでも他の原発に基準地震動を超える地震が5回も起きていることや、高浜原発では基準地震動に満たない地震によって冷却機能が喪失する危険性があるなどを認定し、施設の安全性が不十分だと判示している。
 安全基準に絶対的な安全基準はあり得ない。現実を踏まえた前提の下での基準である。絶対的な基準を考えた場合、例えば、隕石の落下に対する安全策まで講じなければならない。余にもコストがかかりすぎ現実離れとなってしまう。確率的に見てそんなことは起こりえないとして、現実的な条件を設定する。自動車にしても、飛行機にしても、すべて同様の考え方で安全基準は作られ、その安全基準の下で現状の交通システムは運用され社会の役にたっている。
 しかし、原発は福島第1原発の事故が起こるまでは、絶対安全との安全神話があった。事故の反省を踏まえ原子力規制委員会は世界一厳しい基準を作ったと言ったところで、隕石の落下まで考慮しているわけで無い。基準の根拠をいくら説明したところで納得されないだろう。原子力技術の専門家に対する不信感が拭えないからだ。
 今もって福島第1原発の事故の後始末の見通しは立たず、核燃料サイクルも頓挫しっぱなしと技術的問題が山積である。政治的な問題以前に、このような技術的な問題も解決出来ない技術的専門家に説得力があるとは到底思えない。判決で、安全基準が「緩やかにすぎ、合理性を欠く」と非難するのももっともである。
 司法がどのような判断をしようと、今の安倍政権は原子力規制委員会のお墨付きを得た原発を再稼動させるであろう。再稼動は核燃料の燃えカスを出す。しかも、正常に役目を終えた原発の廃炉も控えている。廃炉の際に出てくる高濃度の廃棄物はどこかに貯蔵しなくてはならない。原発事故に際しての汚染ごみの中間貯蔵施設ですら円滑に進まない現状でどう打開するのであろうか。問題の先送りは今に始まったことではないが、負の遺産を子孫に残すべきでない。
 22日、鹿児島地裁は、九州電力川内原子力発電所1、2号機の運転差し止め請求を却下した。福井地裁とは正反対に安全基準は合理性があるとの理由である。裁判官の人事や昇給などに関する実権を握っているのは最高裁人事局であるので、下級審の裁判官の多くは今も最高裁の方を見て判決を書いているとの指摘がある。心底から安全を信じた上での判決であれば結構であるが、昔の安全神話を信じ込まされていたとの反省を踏まえているだろうか。(犬賀 大好-123)