日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

オリンピック選手に国家はどこまで関わるべきか

2018年03月07日 09時34分41秒 | 日々雑感
 平昌冬季オリンピックで日本は過去最大のメダル13個を獲得したと、日本中盛り上がりマスコミは大はしゃぎである。テレビも連日、繰り返し繰り返し選手の活躍の様子を放映している。

 メダル獲得の選手はインタビューに答えて異口同音に ”日頃支えてくれた多くの皆様に感謝する”、とのコメントを発している。自分の努力はさておき皆様のお蔭であるとの発言は大いに涙ものであるが、一方余りにも一様な優等生的コメントに異様さも感ずる。

 活躍の背景には、国を挙げての選手育成がある。かっては企業が選手を育ててきたが、最近国が代わって選手育成に力を入れるようになった。選手の育成には金がかかり、選手は国家の戦略の下に育成されている。選手は多くの関係者により援助されて育てられているのだ。選手はその恩返しとばかり、優勝でもすれば、国旗を背中に掲げ場内を一周し、皆様のお蔭と連発するのであろう。

 社会主義国での国を挙げての支援は有名である。4年に一度のオリンピックは、活躍が全世界に伝えられ、この上ない国威発揚の場となる。日本も真似を始めたのだ。

 国を挙げての支援となると、その範囲は単に練習環境の整備だけにとどまらず、体調管理等の身体ケア、故障した場合の心身のケアにまで及ぶ。成果を挙げれば老後の面倒まで見てくれる所までは徹底していないが、国民栄誉賞を受けるチャンスも生まれてくる。

 徹底した国家管理の行きつく先が、ロシアに例を見る国家ぐるみのドーピングであろう。この為平昌五輪では、ロシアは国としての参加は認められなかった。ロシアの選手はOAR(ロシアからの五輪選手)、として個人資格で参加した。個人参加と言っても、個人が自由に参加した訳ではないだろう。参加出来たのはロシアの各スポーツ団体の推薦の下、IOCがドーピングに関係なしと認めた選手であろうので、実質的には国の代表であることには間違いない。

 勝負に勝つための最終手段であるドーピングは実に根の深い問題である。一般的には、薬を使って運動能力を高めることが ”ドーピング” とされるが、薬以外にも、自分の血液を冷凍保存しておき、試合の直前に再び体内に入れ、酸素運搬能力を高める ”血液ドーピング”や、また細胞、遺伝子、遺伝因子、あるいは遺伝子表現の調整を競技力向上のために行う ”遺伝子ドーピング” といった新しい方法も開発され、普及し始めているようである。これらも一応禁止対象になっているが、更に巧妙な新しい手法はどんどん考案され、”いたちごっこ”となるだろう。

 薬によるドーピングは、それが選手の健康を害することにつながることが一番の禁止理由であり、よく理解できる。しかし、血液ドーピングは健康を害するであろうか。これに限らず副作用の無い薬や発見されにくい方法は、運動機能増強の名の下どんどん開発されるであろう。

 もう一つの禁止理由はフェアプレの精神からとのことであるが、フェアプレイ精神そのものが曖昧である。公平な競争がフェアプレイの基本であろうが、競争はその場だけの競争だけではなく、練習段階から始まっている。 

 しかし、すべての選手の練習環境まで揃えることは土台無理な話であり、身体強化に役立つ食事となると、それを金銭的に出来る選手と出来ない選手が生ずる。それらを一律に規制することは出来っこない。フェアプレの精神とは何であろうか考えてしまう。

 最近は両親のどちらかが海外にルーツを持つ日本人アスリートの活躍がめざましい。日本陸上選手では、ガーナ出身の父親を持つサニブラウンや父親がジャマイカ出身のケンブリッジ・飛鳥が有名である。陸上だけでなく、柔道、サッカー、バスケットボールにバレーボール、ハンドボールなど、各日本代表の候補にハーフの選手が1人や2人はいるそうだ。

 国際化が進み、国際結婚は珍しくなくなった現在、将来のオリンピック選手を目指して国際結婚を望む人が出てきてもおかしくない。

 オリンピックで勝つための手段はどんどんエスカレートして行くだろう。国が絡むと規模は果てしなく大きくなる。それでなくとも、最近の幼児の時からの早期育成、専門化、職業化も含め、スポーツを楽しむ精神は二の次になっているのが気になる。2018.03.07(犬賀 大好-442)

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