日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

生ごみ問題を考える

2015年08月12日 09時32分02秒 | 日々雑感
 人間は、生きていくためにいろいろな物を生産するが、同時にその一部をごみとして廃棄していく。文明の発展と共にその量は増え、蓄積されていく。原発の使用済み核燃料はその最たる例であるが、日々口にする食品に関するごみも大きな問題を抱えている。
 日本国内における年間の食品廃棄量は、食料消費全体の2割にあたる約1,800万トンだそうだ。日本の食料自給率は約4割と報告されているので、自前の食料の約半分に匹敵する量を捨てていることになるのだろう。安全保障の問題の一つとして食料自給率の向上が叫ばれているが、同時に廃棄する量の低減も工夫していかなくてはならない。
 廃棄される食料のうち、売れ残りや期限切れの食品、食べ残しなど、いわゆる「食品ロス」は500万トン~800万トンとされている。これは、我が国におけるコメの年間収穫量(平成24年約850万トン)に匹敵するそうだ。何とももったいない話だ。
 家庭においても食品ロス全体の約半分にあたる年間200万トン~400万トンが発生しているとのことだ。食材別にみると最も多いのは野菜、次いで調理加工品、果実類、魚介類だ。これは、資源の無駄使いばかりでなく、ごみ処分に対する大きな負担を強いる。
 生ごみは、燃えるごみとして市町村のごみ焼却場に運ばれて燃やされることが多いが、燃やすためには重油等の燃料が必要となる。水分が多い生ごみを燃やすにはより多くの燃料を必要とする。燃やせば、地球温暖化の元凶の炭酸ガスを排出する。当然ごみ処理の費用には税金が使われている。
 ごみは燃やすと焼却灰となり、約 10 分の 1 に減量される。この灰は安全なところに埋められるが、埋め立て場所も少なくなって困っている市町村がたくさんある。隣接する市町村の争いごとも耳にする。全国的にみても、処分場を新たに作るのは困難。残余年数はあと19.3年(2014年3月時点)と言われている。
 ごみの発生を少しでも減らすことが重要であるが、行政単位でも様々な工夫が行われている。ごみ処分の有料化や生ごみの堆肥化である。有料化は住民には評判悪いが、最も効果がありそうである。堆肥化は資源の有効な再利用であろうが、都会では不向きである。
 個人レベルでもごみを出さない工夫が必要であるが、ごみの分別を徹底し、再利用できるものは再利用することも肝要であろう。ごみを分別しないで出す人を特定するために、ごみの中身を確認する自治体もあるとのことである。個人情報云々の前に最低限の分別努力はしてもらいたいものである。
 高齢化すると何事も億劫になり、分別が一層面倒になる。一方では、食べる量も減ってくるが、これが食品ロスの減少やごみ発生の低減になればよいが、逆になりそうな気もする。
 ごみは、人間が便利に暮らすための負の生産物である。前述のように、現代人は地球上の資源を無駄遣いして、我が世の春を享受している。人間とはいかに身勝手な存在か。(犬賀 大好-154)

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