日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

職務に忠実なのはわが身の為!

2018年06月02日 09時28分52秒 | 日々雑感
 最近、日本大学のアメリカンフットボールでの悪質な反則行為の波紋が広がっている。しかし、その加害者の学生が、監督・コーチから強く指示されたからと言って、その行為の前に自分で正常な判断をするべきであったと、反省の弁を記者会見で語った。

 20歳の学生からこのようなまともな意見が発せられ久しぶりに清々しい気持ちになり、日本の将来も捨てたものでは無いと感心する一方、わが身を振り返り肩身を狭くしている大人もさぞかし多いことだろう。

 若い頃の純粋な正義心も、年を重ねるといろいろと柵が出来、自分ひとりの意思ではどうにもならないとの愚痴や言い訳も聞こえてくる。

 さて、官僚の世界では、国家公務員の幹部人事が内閣人事局に一元化されたことで、人事への官邸の影響力が強くなり、官僚は官邸の意向を踏まえなければ何もできない、出世もできない羽目に陥ってしまった。

 入省当時は、国家の為にとの理想に燃えていたのであろうが、官邸の意向に反すれば左遷される現状を見ると、現状を変える努力より、与えられた仕事を無難にこなすだけの方が楽と、現状にすっかり妥協してしまったのであろう。世間の柵にすっかり取り囲まれ、井の中の蛙となり、蛙仲間内の競争で満足しているのだろう。

 官僚は難しい国家試験を突破してきた優秀な人物の筈だ。この優秀な頭脳の持ち主が官邸の意向に従順に従うばかりでなく、それを先回りして過剰に忖度するようになってしまっては頭が良いだけに始末が悪い。その結果が森友学園問題であり、加計学園問題である。

 財務省の高級官僚であった佐川氏は、森友学園に関し国会で首相の指示は一切無かったと首相を擁護し、一時的ではあるがその後国税庁長官にまで昇進した。この佐川氏の姿が、法廷でヒトラーの命令の有無を問われたアイヒマンの姿に重なったとの感想が新聞記事があった。アイヒマンは第2次世界大戦中ユダヤ人の大量虐殺を実行した人物であるが、ヒトラーの意志を法とみなし、これを粛々と、時には率先して遂行していたとのことだ。

 また、先日の新聞記事、”日曜に想う” 欄に同様の記事があった。フランスの元エリート官僚が、第2次世界大戦中に時の政権の非人道的な政策の執行に携わった能吏としての責任を追及されたが、自分としては職務を実行しただけで何も悪いことはしていないと言い訳していたとの話である。

 森友学園問題における佐川氏、加計学園問題における柳瀬氏も時の権力者の意向に沿って職務を忠実に実行しただけで何が悪いと言いたいであろう。自分で良し悪しを判断せず、すべてを上司の意向に沿って盲目的に進めることは、官僚の務めであるかも知れないが、それはあくまでも自分の為であろう。

 アメフトの違反行為を実行した若者のように、ちょっと立ち止まり、何が最善かを考えたとすれば、官僚として別の道があったかも知れない。前川喜平前事務次官のように”あったものを無かったとは言えない”、と官邸に歯向かった気骨ある人物もいる。

 しかし、組織にどっぷり浸かってしまうと何より自身の利己的な出世意欲、金銭欲、見栄等が優先され、”寄らば大樹の陰”となってしまうのであろう。激しい競争を勝ち抜いてきた優秀な人間として、余りにも小市民的過ぎるのが情けない。

 日大のアメフト事件では、違反行為を超えて、大学の運営問題にまで発展している。絶大な権力の元に発生した盲目的に職務を実行してそれで良しとする風潮の蔓延であり、この無責任体質が組織の存続を脅かす結果となる。

 安倍首相が丁寧に説明すると何度も言いながら、1年以上国民の大半が納得出来ないどころか有耶無耶になりそうな現状を見るとき、官僚人事の一元化も考え直さなければならないと思う。昔の制度の欠点であった省庁の絶大な権力集中も、まともな政治家が目を光らせば何とかなる。今の人事の一元化は行き過ぎであった。2018.06.02(犬賀 大好-447)

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