今年1月6日、トヨタ自動車は、水素燃料電池自動車に関する特許を無償で提供すると発表した。背景は、燃料電池自動車を世界に普及させるためには、多数の会社が参加し、市場を大きくする必要があるからだとのことである。特に、水素を補給するステーション等のインフラ整備には様々な産業も参加し、国民的な合意を得なくてはならない。兎も角、電気自動車と燃料電池自動車の激烈な競争が始まるわけだ。
無公害型の自動車には、既に電気自動車が発売されている。電気自動車はその名の通り、電池でモータを回して走る自動車であるのに対し、先述の燃料電池自動車では、水素を補給して、それを空気中の酸素と反応させて電気を起こし、その電気でモータを回して走る。一回の水素補給で500km以上走行可能なのに対し、電気自動車は一回の充電で走行可能距離は100km以下である。自動車の機械的な構成から判断し、電気自動車の方が安価に出来ることは明らかであるが、現状では走行距離が短いのが決定的な欠点であろう。
水素燃料自動車の宣伝文句のひとつに、“水素は地球上に無限にあり、枯渇することは無い“がある。確かに、海水は、水素と酸素を主成分とするので、無限との説明は間違いでは無い。しかし、水に含まれる水素をそのまま使うことは出来ない。水から水素を分離するためには莫大なエネルギーを必要とする。電気自動車にしても、事情は同じであるが、元になる電気をどうやって生み出すかは、別問題としてある。
何はさて置き、電池の技術革新を早急に進めてもらいたい。大容量化、軽量化や低価格化等である。電気自動車がガソリン車より値段が高いのは電池の性能が悪いからだ。安価で高性能電池があれば、モータ1個で自動車を走らせることが出来る。現状では一番高性能と言われているリチウムイオン電池にしても、携帯電話でも使用されているが、毎日のように充電しなくてならないのには閉口する。電気自動車と燃料自動車のどちらが勝つかは、電池の高性能化にかかっている。
更に、電気自動車で使用する電池には各家庭で充電可能との大きな利点がある。燃料電池自動車の水素を各家庭で製造し自動車に積み込むのは至難の業である。各家庭に太陽光発電設備の普及が急である。そこで生み出された電気を直接電池に充電するほうがはるかに簡単である。水素燃料自動車を”究極のエコカー”と称しているが、間違いである。太陽光発電等の自然エネルギーと結びつけた電気自動車こそが、”究極のエコカー“であると思う。(犬賀 大好-92)
無公害型の自動車には、既に電気自動車が発売されている。電気自動車はその名の通り、電池でモータを回して走る自動車であるのに対し、先述の燃料電池自動車では、水素を補給して、それを空気中の酸素と反応させて電気を起こし、その電気でモータを回して走る。一回の水素補給で500km以上走行可能なのに対し、電気自動車は一回の充電で走行可能距離は100km以下である。自動車の機械的な構成から判断し、電気自動車の方が安価に出来ることは明らかであるが、現状では走行距離が短いのが決定的な欠点であろう。
水素燃料自動車の宣伝文句のひとつに、“水素は地球上に無限にあり、枯渇することは無い“がある。確かに、海水は、水素と酸素を主成分とするので、無限との説明は間違いでは無い。しかし、水に含まれる水素をそのまま使うことは出来ない。水から水素を分離するためには莫大なエネルギーを必要とする。電気自動車にしても、事情は同じであるが、元になる電気をどうやって生み出すかは、別問題としてある。
何はさて置き、電池の技術革新を早急に進めてもらいたい。大容量化、軽量化や低価格化等である。電気自動車がガソリン車より値段が高いのは電池の性能が悪いからだ。安価で高性能電池があれば、モータ1個で自動車を走らせることが出来る。現状では一番高性能と言われているリチウムイオン電池にしても、携帯電話でも使用されているが、毎日のように充電しなくてならないのには閉口する。電気自動車と燃料自動車のどちらが勝つかは、電池の高性能化にかかっている。
更に、電気自動車で使用する電池には各家庭で充電可能との大きな利点がある。燃料電池自動車の水素を各家庭で製造し自動車に積み込むのは至難の業である。各家庭に太陽光発電設備の普及が急である。そこで生み出された電気を直接電池に充電するほうがはるかに簡単である。水素燃料自動車を”究極のエコカー”と称しているが、間違いである。太陽光発電等の自然エネルギーと結びつけた電気自動車こそが、”究極のエコカー“であると思う。(犬賀 大好-92)
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