先日閉幕した東京五輪はメダルを過去最大の計58個獲得し、金メダルも27個獲得したためか、大いに盛り上がり、世論調査でも国民の60%以上がやってよかったとの評価だ。
金メダル選手はインタビュー攻めであったが、どの選手も異口同音に開催してくれた関係者に感謝するとのコメントを発していたのには少々違和感があった。コロナウイルスの蔓延する中、開催強行した関係者に感謝の気持ちを表したい気持ちからの発言であろうが、どこか上からの指示があったとも感じられたのだ。メダル獲得は本人の努力があったからであるが、国の手厚い支援があったればこそだ。
国の支援で思い出すのは、かって社会主義国が国を挙げて選手を育成し、メダルを数多く獲得しオリンピックを国威発揚の場としたことである。今回の東京五輪でもその方式を真似ただけと見ることもできる。
また、当初オリンピックは個人が趣味で始めたスポーツの延長線上にあったが、サポート体制やトレーニング機材を充実させ専業選手としてスポーツに集中することができるプロ選手の活躍が顕著となり、そしてトップレベルのアスリート達を見たいと言う人々の声も大きくなった。それとともにマスコミはスポーツをエンターテイメントとして持ち上げ、国際オリンピック委員会(IOC)も商業主義の傾向が強くなってきた。
さて、オリンピックで金メダルを取ればマスコミを初めとする社会の寵児となり、選手ばかりでなく、指導者や両親、親族まで紹介される。選手を引退した後でも、競技団体の委員になったり、元メダリストとしてテレビに出演したりして、一生安泰で政治家への道も拓ける。このために、小さいころからの英才教育やチームを組んでの支援体制が盛んになり、スポーツの職業化が進むこととなり、体操一家の名前も生まれた。
個人が趣味で始めたスポーツでオリンピックに出ることは難しくなってきたが、スケートボード選手の岡本碧優の活躍が印象に残る。オリンピックの最後の演技でも転倒し惜しくも4位となったが、演技後他の選手たちが涙の岡本の元へと近寄り担ぎあげて健闘を称える場面があった。このように歴史が浅い種目ではまだアマチュアイズムが残っている気がする。しかし数年後にはこのスポーツも選手強化がシステム化し、アマチュアイズムの発揮が難しくなっているのではなかろうか。
大会開催前国民の大半が開催に否定的であったが、開催後はやってよかったとの評価が大半だ。これをもって、大衆のいい加減さを嘆く人もいるが、選手が全力を出して活躍する姿を見て感激することは万人の共通感情だ。これこそがスポーツの力であろうが、これはなにもオリンピックに限らず、普通の国際大会でも同じことである。
ゴルフ、テニスやサッカー等、ほとんどの競技には世界選手権やワールドカップがあり、オリンピック出場選手も次の大会に備えて訓練を始める等のコメントを発しているが、正にスポーツが職業なのだ。大金をかけてオリンピックをわざわざ開催する意義を改めて冷静に考える必要がある。
2021.08.14(犬賀 大好ー737)