現在の日本は、膨大な国家予算の歳入の約1/3を新規発行の国債に依存し、また異次元金融緩和では年間80兆円分の国債を日銀は民間から買い上げて景気浮上を図るなど、日本経済においては国債は重要な役目を果たしているが、国債は借金の借用書であることを忘れてはならない。
さて、日銀による国債の取り扱いには、「買い取り」と「引き受け」があるそうだ。同じような言葉ではあるが、意味が随分違うとの話だ。「買い取り」とは日銀が市場にある銀行等が保有している国債を買い上げる事だ。銀行は手持ち資金が増えるので、金利を下げて企業や個人への貸し付けを促進することができ、金利を下げることで個人の購買意欲を増し、景気を回復させる効果が期待できると言う訳である。異次元金融緩和が正にその効果を狙った国債の買取りだ。
一方、国債の「引き受け」とは、政府の発行する国債を金融市場を通すこと無しに日銀が直接引き取り、お金を刷って政府へ直接資金を渡すことだそうだ。政府はその資金を基に公共事業を起こしたり、社会保障に充てたり、満期が来た国債の支払いに充てたりして、国の経済を運営することであり、中でも経済の活性化させようとする目的が大きいそうだ。
「引き受け」と「買取り」は、政府の発行する国債を日銀が直接買うか、間接的に買うかの違いだけで、狙いとするところは同じようなものだが、経済に与える影響はかなり異なるようだ。「引き受け」の場合、日銀にお金を刷らせればいつでも政府は簡単に資金を手にすることができるため、節度がなくなり、国債の乱発に歯止めがかからなくなり、過去には第二次世界大戦後のハイパーインフレの原因になった反省から、日本銀行における国債「引き受け」は、財政法第5条によって原則として禁止されているとのことだ。
これに対し「買取り」の場合は、銀行を始めとする企業が購入するが、個人でも買うことが出来る。一旦市場に出るので、経済原理が働き、価格が上がったり下がったりする。すなわち国債の買い手がいなくなると金利が上昇して購入意欲を高める等の機能が働き、市場を通じて価格の調整が行われるのだ。
国債を所有していれば利子が付き、満期が来れば現金に替えることが出来る。国が保証人の借用書であるので、信頼性は抜群であるとの話だ。
さて、異次元金融緩和で日銀の国債保有額も全発行国債の4割を超えたとのことであり、財政ファイナンスに近づいているとの指摘も強まっているようだ。財政ファイナンスとは、日銀が政府に対して、資金を供給することであり、政府の厳しい財政状況において、財政赤字の拡大や穴埋めの支援策として、日銀が直接協力することを意味するようである。先述の国債を日銀が直接「引き受け」することは、典型的な財政ファイナンスであろう。
異次元金融緩和では国の発行した国債を一旦銀行が買い、それを日銀が買い取るので、あくまでも「買取り」であり、「引き受け」ではない、すなわち財政ファイナンスではないと、政府、日銀は言いたいのであろう。しかし、銀行が介在しているだけの話で、国債を日銀が保有し、政府を支援する点では財政ファイナンスと本質的に何ら変わらない。現在の異次元金融緩和は実質的に「引き受け」であり、財政ファイナンスそのものである。
日銀の異次元金融緩和において、物価上昇率2%の目標は5年が経っても目途が立たないが、日本経済は好調のようである。この好調さに国債の「買取り」がどの程度寄与しているか定かではないが、この好調さを維持したいがために「買取り」をあくまでも続けるようである。
国債の「引き受け」は、財政法第5条によって原則として禁止されていると言っても、あくまでも原則であり、抜け穴はいくらでもあるようだ。しかし、「引き受け」の欠点である節度の欠落、財政の規律への麻痺、無責任への慣れ、は既に蔓延していると思わざるを得ない。2018.04.07(犬賀 大好-431)
さて、日銀による国債の取り扱いには、「買い取り」と「引き受け」があるそうだ。同じような言葉ではあるが、意味が随分違うとの話だ。「買い取り」とは日銀が市場にある銀行等が保有している国債を買い上げる事だ。銀行は手持ち資金が増えるので、金利を下げて企業や個人への貸し付けを促進することができ、金利を下げることで個人の購買意欲を増し、景気を回復させる効果が期待できると言う訳である。異次元金融緩和が正にその効果を狙った国債の買取りだ。
一方、国債の「引き受け」とは、政府の発行する国債を金融市場を通すこと無しに日銀が直接引き取り、お金を刷って政府へ直接資金を渡すことだそうだ。政府はその資金を基に公共事業を起こしたり、社会保障に充てたり、満期が来た国債の支払いに充てたりして、国の経済を運営することであり、中でも経済の活性化させようとする目的が大きいそうだ。
「引き受け」と「買取り」は、政府の発行する国債を日銀が直接買うか、間接的に買うかの違いだけで、狙いとするところは同じようなものだが、経済に与える影響はかなり異なるようだ。「引き受け」の場合、日銀にお金を刷らせればいつでも政府は簡単に資金を手にすることができるため、節度がなくなり、国債の乱発に歯止めがかからなくなり、過去には第二次世界大戦後のハイパーインフレの原因になった反省から、日本銀行における国債「引き受け」は、財政法第5条によって原則として禁止されているとのことだ。
これに対し「買取り」の場合は、銀行を始めとする企業が購入するが、個人でも買うことが出来る。一旦市場に出るので、経済原理が働き、価格が上がったり下がったりする。すなわち国債の買い手がいなくなると金利が上昇して購入意欲を高める等の機能が働き、市場を通じて価格の調整が行われるのだ。
国債を所有していれば利子が付き、満期が来れば現金に替えることが出来る。国が保証人の借用書であるので、信頼性は抜群であるとの話だ。
さて、異次元金融緩和で日銀の国債保有額も全発行国債の4割を超えたとのことであり、財政ファイナンスに近づいているとの指摘も強まっているようだ。財政ファイナンスとは、日銀が政府に対して、資金を供給することであり、政府の厳しい財政状況において、財政赤字の拡大や穴埋めの支援策として、日銀が直接協力することを意味するようである。先述の国債を日銀が直接「引き受け」することは、典型的な財政ファイナンスであろう。
異次元金融緩和では国の発行した国債を一旦銀行が買い、それを日銀が買い取るので、あくまでも「買取り」であり、「引き受け」ではない、すなわち財政ファイナンスではないと、政府、日銀は言いたいのであろう。しかし、銀行が介在しているだけの話で、国債を日銀が保有し、政府を支援する点では財政ファイナンスと本質的に何ら変わらない。現在の異次元金融緩和は実質的に「引き受け」であり、財政ファイナンスそのものである。
日銀の異次元金融緩和において、物価上昇率2%の目標は5年が経っても目途が立たないが、日本経済は好調のようである。この好調さに国債の「買取り」がどの程度寄与しているか定かではないが、この好調さを維持したいがために「買取り」をあくまでも続けるようである。
国債の「引き受け」は、財政法第5条によって原則として禁止されていると言っても、あくまでも原則であり、抜け穴はいくらでもあるようだ。しかし、「引き受け」の欠点である節度の欠落、財政の規律への麻痺、無責任への慣れ、は既に蔓延していると思わざるを得ない。2018.04.07(犬賀 大好-431)