日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

シャンプーは何使っている?

2015年11月21日 09時29分00秒 | 日々雑感
 前期高齢者です。この2年間シャンプーは全く使っていません。毎日お湯で濯ぐだけです。若いときからふけで悩まされてきました。皮膚科に何回か行きました。処方される薬はステロイド系の塗り薬で使っている間は効果ありますが、止めると元に戻ります。
 現在お世話になっている医者はちょっと変わっています。市販のシャンプーには活性剤等皮膚に有害な成分が色々含まれて居るそうです。赤ちゃん用シャンプーも同様なようです。そこで、助言に従いお湯だけにしました。ただし、洗いっぱなしですとカサカサしてきますので、保湿用の油(?)を処方してもらって塗っています。長年の悩みふけからは解放されています。
 この効果に気をよくし、現在顔や体にも石鹸は使わず、お湯洗いだけです。色々な人に臭いが残っていないか聞いていますが、老人臭もないようです。 
 テレビでは、若い美人が石鹸やシャンプーを気持ちよさそうに使用し、あたかも使用することによって美人になったように宣伝していますが、美人は別のところで作られます。
 以上

快眠できる方法

2015年11月21日 09時17分05秒 | 日々雑感
 スマホでクラシック音楽を聴きながら、横になっているといつの間にか寝ています。ただし、30分から1時間後にOFFするようにしておかないと、途中起こされてしまう心配があります。音楽の代わりに、外国語のリスニングが良いかも知れません。音楽はスマホのアプリ、Tuneinを利用していますが、外国語は分かりません。 以上

高齢者の存在意義と自殺について

2015年11月21日 09時09分49秒 | 日々雑感
 超高齢化社会である。しかもiPS細胞による再生医療やガン早期発見検査法等の進歩が著しく、現在でも世界一の平均寿命は更に記録更新すると思われる。しかし、一方では社会保障費が年1兆円づつ増え、日本経済は益々苦しくなる。一億総活躍社会と叫ばれる現在、高齢者の存在意義は何だろうとはたと考え込んでしまう。

 現在の日本の繁栄は高齢者の若い頃の苦労のお蔭であり、現在楽するのは当然の権利である、と言って堂々として人もいるが、一般的には何かと肩身が狭い世の中である。敢えて存在意義を見出そうとすると、社会、特に若者に対し自分の経験を伝えることに存在意義がある、とお仕着せの返事も聞こえてくる。確かに、そうかも知れないが、ほとんどの高齢者、すなわち老人は社会の足手まといであろう。

 儒教においては老人を敬えとの一貫した思想がある。しかし、老人が長生き出来ず、人数的にも少なく、希少価値として役立った時代に出来た思想であろう。何しろ石を投げれば高齢者に当たる時代である。後2,30年経ち、団塊の世代がこの世から居なくなれば、社会保障費も少なくなり日本経済は安定するとの待望論も聞かれる。兎も角、高齢者は社会のお荷物になっているのだ。

 老人が集まるとよく、ピンピンコロリ、略してピンコロが話題になる。生きている間は誰の世話にならず元気でおり、死ぬときはコロリと一瞬で死ぬことが理想であるとの話である。

 死はいずれやってくるが、通常突然やってくることは稀である。死に至るまでの間、多かれ少なかれ、誰かの面倒になる。面倒を見られる間、生きていることを実感できればまだしも、意識が無くなり植物状態になっても、まだ面倒をかけるのは、到底本人の希望するところではないだろう。

 突然死を迎えるためには、交通事故か自殺しかない。交通事故は自分で選択できない。選択できるのは自殺である。

 現在日本における自殺者は年間3万人強で、そのうち1/3強が60歳以上の老人との話だ。健康上の理由が一番多く、経済・生活問題が続くそうだ。共通するのは現在の苦しみから逃れるためとか、将来を悲観しての話であろう。人間の本能は生である。その本能に打ち勝って死を選ぶとは余程の覚悟が必要であり、当人の苦しみの大きさが伺い知れる。しかし、下流老人が激増する昨今、他人事と言ってはおられない。
 ピンコロと自殺が異なるのは、死を直前に知るかどうかである。死が恐怖であるか、希望となるか、誰も死んだ経験がないので断定できない。ピンコロが理想的と思われるのは、死の直前においても死を感じないことであろう。

 社会保障費が破綻寸前であり姨捨山がいつ制度化されてもおかしくない。いやもう始まっているかもしれない。特養の収容人数の倍が待機人数だと言う。下流老人は姨捨山に行くしかない。

 老人が住みにくくなる時代、ピンコロを実現するのは容易でない。せめてピンコロ希望者に安楽死を認める時代が来ないものだろうか。(犬賀 大好-183)