これは昨秋、某航空会社の機内誌にもちらりと書いたことなのですが…。
ハワイの女性の正装であるムームーは、宣教師の女性がハワイアンの女性のために考案したものと言われていますね。そのきっかけとして、後世、2つの全く異なる話が伝わっております。
1つ目は…。裸体に布(木の皮から作られるタパ布ですね)を巻いただけのハワイアン女性を見た宣教師の妻たち。「はしたない!」とおののき、ハワイアン女性にも西洋風のドレスを着せようと決めたのが、ムームーの始まり…という説。もう1つは、ハワイアン自らがドレスを着たがったため、宣教師夫人がムームーを考案した、という説です。宣教師の妻がハワイ島に上陸した際、出迎えた王族グループの一員だったカメハメハ大王の未亡人の一人、カラクアが、生まれて初めてドレスを見て感激。「ステキ~! ああいうの、私も着たい!」と所望したのが、ムームー誕生のきっかけというものです。
今ではより具体性のある、2つめの説が一般的。もちろん体格のよかったハワイアンにタイトフィットなドレスは似合わないため、宣教師夫人がデザインを工夫し、布の切りかえが胸のうえにある、ゆったりシルエットのムームーが誕生したわけですが…。
ともあれ。こういった内容の記事を書いた際、私はカラクアが生まれて初めて西洋のドレスを目撃したその場所を、ハワイ島の某所、としか知りませんでした。ですが先月カイルア・コナを訪れた際、その場所を発見! 「ここがムームー生誕ゆかりの地か~」と、1人で感動してしまいました。
その場所とは、カイルア・コナの端であるカマカホヌ・ベイ。カマカホヌ・ベイ…ってどこ? と思う方も多いでしょうが、キング・カメハメハ・ホテル前に広がる、カメハメハ大王が晩年を過ごしたビーチがそれ。そこには大王が建てたアフエナ・ヘイアウもあって…と聞けば、「ああ、あそこ!」とピンとくる方もいるのでは?
…今回の旅行ではヒロに3泊した後、家族で初めてカイルア・コナに1泊。宿泊先がキング・カメハメハ・ホテルだったのでした(今はマリオットホテルの一員になり、素晴らしくきれいに改装されています)。で、その庭にあった案内書きを読むうち、そのビーチがまさに、ボストンからの初のキリスト教宣教師が上陸した地点であることを知りました…。
時は、カメハメハ大王が死去した翌年の1820年4月4日のこと。その時、何人の宣教師が夫人を伴っていたのかはわかりませんが、ほかの資料により、少なくともトーマス・ホルマン夫人が、その最初のグループに入っていたことはわかっています。そして。トーマス・ホルマン夫人らをビーチで出迎えたカラクアら王族女性が、「まあ、なんて素敵な服かしら~」とうなり、あのムームーがハワイで誕生したというわけですね! う~ん。今回のハワイ島訪問で、まさにムームー生誕の地? に立つことになろうとはつゆ知らず、ムームー一枚持たずにコナを訪れたのは残念でした。次回こそあのビーチを、ムームーを着て歩いてみたい。
今このビーチには前述のホテルのほか、往時そのままに海辺に復元されたカメハメハゆかりのアフエナ・ヘイアウがある程度。ですが以上のような史実を知って佇んでみれば、周りの空気、風景が、なんだか違って見えるから不思議です。いざ、ムームーを着てカマカホヌ・ベイへ!
へぇ~、アロハの発祥は知っていましたがムームーは知りませんでした。
ハワイ初心者がやりがちな失敗が現地で普通だと思って買ったムームーやアロハが
日本に帰ってきて着ようと思うとあまりの派手さに浮きまくって着られないつう奴です。
やはり、原色、大きな柄が似合うのはハワイなんでしょうね。
ド派手なムームー&アロハ、買ってしまいがちですね…。
ハワイでも、職場で派手派手アロハを着ている人を見ると、やはり違和感あるんですけどね(笑)。それパーティで着たら? と言いたくなっちゃいます。
映画「ファミリーツリー」でジョージ・クルーニーが着てたアロハはレインズで、渋くて現実感があってよかったですよ。
お久しぶりですねぇ~。
またJUNさんのHAWAII話が読めるなんて楽しみ~。
ムウムウにも流行りがありますよね~。
今はどこの会社も工夫をしていて、フラメンコの衣装?と思うようなものもたくさんありますね。
だんだん身体の線がぼんやりしてきて、着られるデザインが限られている今日この頃ですが、色々なドレスを見るとワクワクしてきます^^
お懐かしい! コメントいただいて嬉しいです。
またちょくちょく、覗いてくださいね!
して、新著は見ていただけましたか?
ティキさん好みの「ティキ像」の表紙です(笑)。(表紙が)素敵ですよ~。
フラメンコ風のムウムウ。言いえて妙! ですね。フリルフリフリで…。
そういうのはそれこそ、日本ではフラの舞台でしか着られないのでしょうね。