菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

コトワザざわざわ。シリーズ その240

2018年06月20日 00時00分46秒 | クダラナイ、ノボラナイ

病は知から

 

 

 

【解説】

元は、"病は気から"。

病気は、その人の心の持ち方次第で、軽くもなるし、重くもなる、という意味。下手すると、気持ち次第で勝手に病気になってしまうことも表す。
想像妊娠とかその最たるものですかね。

 

こちらは、知識をえてしまうことで、当てはまるから病気かもと思いこんだり、症状を知ってしまって出てなかったのにその症状が出てしまったりすること。その知識がそもそも間違っていて、治療法などを自分勝手にやることで病気をさらに悪くしてしまうこと。
ネットで簡単に調べられるようになったことで、さらにこの傾向が強まっている。
専門家を信じること、一つの情報を信じ過ぎるのも危険。セカンドオピニオン大事。

 

「病、膏肓に入る」にも似ているところも。意味は、不治の病にかかること。転じて、ある物事に熱中してどうしようもなくなること。
「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上部にあたり、ここに病気が入ると治療できないと昔は思われていたため。
春秋左氏伝・成公十年にある故事が由来。晋の景公が病気になり、秦から名医を呼んだ。医者が着く前に景公は、病気の精が二人の童子となり、膏と肓の間に逃げ込む夢をみた。医者が到着し、景公を診察すると「膏と肓の間に病気があり、薬も針も届かないので治療のしようがない」と言ったので、景公はその医者を厚くもてなした。まもなく景公は亡くなった。

ちなみに、膏肓を「こうもう」と読むのは誤りで、膏盲と書くのも誤り。

「こうこう」と読みます。

 

昔、おいらは「病、膏肓にいる」の意味を、病で膏薬に凝ってしまうことだと思っていたのでした。

 

 

 

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