菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

主要登場人物を多くする作劇。

2024年04月06日 00時00分32秒 | 映画のあれこれ

最近、映画の主要登場人物が増えている。

『ゴーストバスターズ フローズン・サマー』の主要キャラは18、『デューン2』は14(それでも原作からは減らしている)、『オッペンハイマー』は約25(3度以上物語に関わるのがこれぐらい)。
(実は、日本でも、TVシリーズのせいもあるが、『クレヨンしんちゃん』の劇場版は平均約15キャラ、『劇場版TOKYO MER』は20キャラ、『千と千尋の神隠し』は13キャラ)

特に、アメリカ映画は登場人物を多くして現実味や多様性を出す作劇を取り入れ始めている。
続編だけでなくシリーズものが増えてきたこと、ドラマシリーズとその劇場版の影響もあるだろう。
ただのちらっと出しだけでなく、シナリオ上で絡むように組み込む技が発展してきている。
(2003年の『踊る大捜査線 THE MOVIE2』は約30だが、主要とはいえドラマシリーズのファン向けに無理やり出したと思われるキャラもちらほら)
技としては、脳内映像(改装や幻覚、イメージ)、時系列操作などで発展している。
これにより、物語の要素を増やし、展開速度を上げることができる。キャストとキャラ人気も取り込める。
当然、うまくやらないと掘り下げが浅くもなるし、受け手の状態に理解度が左右されもする(ファンや前提知識による)。
しかし、最主要キャラの多面性を引き出せる効果(人は対する人によって別の面を出す)あるし、世界や現実の複雑さを見せられる。
これは、長大な小説の映画化や伝記映画で、どんどん重要な作劇技術になっていくと思われる。
(今までの伝記ものでは、重要な出来事に絡んで、その場限りの出番というのが多かった)

これは、送り手側の意識も影響してくるだろう。
それは、今も登場人物は必要最小限にし、それぞれの深みを出す作劇が主流であることや、興行的にストーリーに関係なくても人気キャラを出させる発想で留まるのが根強いこと。
後者に対抗するために、作劇側が質を上げていったともいえる発展であるのかもしれない。

群像劇とは違う点は、主人公とその主要の集団を物語の主軸にしていること。
(以前、登場人物が多いものはこの方向性も多かった)
バディものや対立構図を強くする方向性が強い。
特に、多様的に対抗者(敵やライバル)のドラマを描くようになったことも影響しているのだろう。
主人公の物語と群像劇の二軸の組み合わせも増えた。
クイズ番組の間、問題ごとに回想する『スラムドッグ$ミリオネア』のように一つの出来事の間にドラマという作劇があり、これは主軸は登場人物は少ないが回想は登場人物が多くできる。
これの逆が『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』で人物が多めの野球の試合を主軸にして、ことあるごとに主人公が回想する、というのが先駆作品のひとつ。『THE FIRST SLAM DUNK』この作劇を採用している。試合も回想も登場人物が多い(20人以上)が、ストーリーがシンプルなので、見やすくなっている。
ミステリーでは主人公が誰かの人生を探るものでは、主人公が人物を探るため、そもそも登場人物が多くなる傾向があった。(アガサ・クリスティのミステリー作品など)

これは余談だが、殺人ミステリーの一人の人物とその周囲の人物を探るのは、第一次世界大戦で普通の人の命が大量に失われたことから戦争と病気(スペイン風邪)であっという間に消える個人の人生というものの価値について考えられるようになっていたことからとも言われてる。

 

『流転の地球 -太陽系脱出計画-』と見比べるとわかりやすいかも。
3時間で政府も絡む地球大移動計画を実行するのを3人の主人公で見せる群像劇寄りに語る。
原作は短編小説。
主要登場人物は10。しかし、それぞれがほとんど絡まないので、40分ずつ3の話を見て、最後にくっ付く感じ。
中国の歴史ものは登場人物大量登場するのに、基本は減らす方向なのは、やはりまだ作劇の基本はやや定番のままなのだということ。



この登場人物の多い作劇は、MCU映画の影響もあるのかもしれない。
それは、いわゆるユニバース映画へと発展した。
アメコミでは大勢のキャラが絡む作品(クロスオーバーなど)が多く、それを実写化もつくられるようになり、『アベンジャーズ』シリーズにより、それが大ヒットをしたので。
2012年の『アベンジャーズ』は主要キャラは15、シリーズ3と4の『インフィニティ・ウォー』と『エンドゲーム』(合計で約5時間半)は続き物として、約50の主要キャラが出てくる。約20本の長編映画の集合でもあるが、ダイジェストの要素はわずかで、シナリオでもちらっと出と主要キャラは分けられており、それぞれにある程度の作劇上の機能がもたされている。(しっかりと描かれるのは約20キャラだが)

なんといっても、ネットですぐに情報にアクセスできることから、その情報量が増えたこと、多様的な観客が多様性を求めていることが、この作劇の発展に、強く影響していると考えてよいと思われる。

これにより、劇中で解釈しきれない難しい描写もネットで探ることができるから入れられる(逆に入れないと浅いと思われることさえある)という前提で語る方法が許容されるようになったとさえ言える。
それは歴史(虚構のも)を組み入れることの価値が上がったということもである。

 

 

 

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