菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

Jホラーのはじまりはいつか? そして、2016年は、Jホラーの新たなはじまりとなる!(追記あり)

2016年05月16日 00時00分04秒 | 映画のあれこれ

Jホラー最初の大ヒットである『リング』(監督:中田秀夫/脚本:高橋洋)公開の1998年をJホラー爆発元年(ホラー初の配給収入10億円突破作品。『らせん』(飯田譲治)との2本立て)と考えれば、再来年の2018年がJホラー勃興の20周年の節目と言われている。
(清水崇の『呪怨』(ビデオ版第一作は1999年)の伽耶子も1998年放送の『学校の怪談』内の『4444444444』で登場している)

(ただし、小説『リング』が『リング 夏のホラースペシャル・リング・事故か、変死か、4つの命を奪う少女の怨念』として実写ドラマ化(フジテレビ系)して、放送されている)  

(もう一本のJホラーの代表作である『オーディション』(監督:三池崇史/脚本:天願大介)は2000年の作)

 

 
では、Jホラーの実際のはじまりはいつか?

  

 
 
それは、その10年前の1988年ではなかろうか。(諸説あり、実は揺れています。記事中でちょこちょこ触れています)

 

なぜなら、1988年には、『死霊の罠』(監督:池田敏春/脚本:石井隆)と『DOOR』(監督:高橋伴明/脚本:及川中と高橋伴明)も公開されている。

『サイキックビジョン 邪願霊 ~狙われた美人キャスター~』(監督:石井てるよし・脚本:小中千昭)が発売される。

そして、黒沢清の大作ホラー『スウィートホーム』が製作された年で(公開は1989年1月21日)だからだ。

 

 

ホラーファンには、『サイキックビジョン 邪願霊 ~狙われた美人キャスター~』は有名だが、あまり、Jホラーの流れでは出てこない『死霊の罠』、『DOOR』を挙げた理由を説明しよう。

ジャンルでは、ジャパニーズ・スプラッターで、日本のスプラッターのパイオニアの一本。

いわゆるJホラーの特徴である、独特の緊張の間、直接表現より想像力をかきたてる恐怖を忍びよらせる婉曲表現などは、あまり見られず、アメリカン・ホラーの流れを強く受け継いでいる。実際、サム・ライミの『死霊のはらわた』からインスパイアを受けているそうで、タイトルだけでなく、移動カメラを主観にして迫るカットなども見受けられる。しかし、謎のビデオテープ、少年ヒデキの怨霊、拷問、水や光といった直接的でない恐怖表現は、そのまま、『リング』のビデオテープ、『呪怨』の俊雄にもつながり、忍び寄る足音や水の使い方などはそのままJホラーの特徴と合致し、Jホラーの萌芽が見られる。ゆえに、今作はジャパニーズ・スプラッタと怪談を取り込み、アメリカン・ホラーを日本的に解釈したJホラーへの橋渡し的作品に位置づけてよいと判断したい。

それは、1991年の『死霊の罠2/ヒデキ』(監督・脚本:橋本以蔵/脚本:小中千昭)へとつながっていく。

(この続編はかなり前(1988年の公開直後の可能性大)から企画されていたという)

 

 

『DOOR』は、サイコ系ホラーとして、小さな出来事(ドアに指を挟む)から状況が悪化していく恐怖を作り出した。

1991年に『DOOR II TOKYO DIARY』(監督:高橋伴明/脚本:水谷俊之と高橋伴明)、1996年の『DOORⅢ』(監督:黒沢清/脚本:小中千昭)、と3作つくられたホラー・シリーズの走り。

(『DOORⅢ』は悪魔が出てくるなど、Jホラーというよりはアメリカンな方向へと戻っていった部分もあるが、『DOOR』シリーズではもっともJホラー表現が組み込まれている)

アメリカンなサイコホラーの日本的な生活で描いて、融合させた原点。

ただ、ドアの向こうにいるだけで怖いという、日本の集合住宅の部屋の狭さなどのJホラー表現を生み出している。 

 

『死霊の罠』と『DOOR』は同時上映。

(当時は二本立て興行は当たり前であった) 

 

 

ここで、解説。

Jホラーは、心霊ホラー(幽霊もの、オカルト)だけではないのです。  

(Jホラー自体は、怪談などを現実的、実在的な解釈をし、日本的な婉曲的恐怖表現(心霊写真的とも)を膨らましたものとするのが通常だが、ここではあえて、日本ならではのホラー表現に挑んだJホラーの流れを広げたホラー作品とも拡大解釈する)

 

その心霊(オカルト)ホラーに加えて、ほかに流れは4つあります。

 

その1は、サイコ&拷問系ホラー。

『DOOR』以外にもドラマなどでも多くあり、これは、江戸川乱歩、横溝正史などなどの影響も強い。

Jホラーとしては、1992年の『地獄の警備員』(監督:黒沢清・脚本:富岡邦彦と黒沢清)、1997年の、黒沢清の『CURE キュア』、『催眠』(監督・脚本:落合正幸/脚本:福田靖)、1999年の『黒い家』(監督:森田芳光・脚本:大森寿美男)、2000年の『オーディション』など。

2005年に三池崇史がハリウッドデビューした『インプリント ~ぼっけえ、きょうてえ~』(脚本:天願大介)は、この流れと言える。

 (1985年の『Guiniea pig ギニーピッグ 悪魔の実験』は監督名さえないファウンドフッテージもので、このジャンルの開拓作の一本だが、ストーリー性などの薄さなどがあり、あえて、外している。ただし、『ギニーピッグ』シリーズは、人によっては、Jホラーになっていった起源の一本にする人もいるかも。その他の『ギニーピッグ』シリーズについては、後述)

2010年の『冷たい熱帯魚』 (園子温)は、実話であるということがすでに怖い。(ジャンル的にはホラーに入れない見方もあるが、ホラーでもあるとした方がいいだろう)

この実話系サイコは、2014年の『凶悪』(監督:白石和彌/脚本:高橋泉と白石和彌)などにつながっていく。

 

怪談の代表である『四谷怪談』のお岩さんの毒やそれによる痛みと肉体の変形という意味では、この傾向の起源と言えるし、妻殺しの伊右衛門は完全にサイコだ。

 

  

その2は、妖怪(都市伝説の化物)ホラー。

妖怪話は日本のホラーの源流なので、Jホラーにも現れてくる。

代表は、1994年からTV放送された『学校の怪談』シリーズ、1996年の『口裂け女』(監督:石井てるよし/脚本:おかのゆうき)など。

特に、『学校の怪談』シリーズからは、多くのJホラーの旗手が育った。

劇場版は1995年の『学校の怪談』(監督:平山秀幸/脚本:奥寺佐渡子)から1999年の『学校の怪談4』まで4作作られたている。この第一作は配給収入約15億円。子供向けで大人は怖くないのことがネックでホラーとして、あまり語られないが、表現ではすでに現れていることもあり、記録上では、この作品の公開の1995年こそJホラーの爆発元年とするべきではないかとも思う。

都市伝説の代表がこっくりさんで、『リング』前の1997年に『KOKKURI こっくりさん』(監督:瀬々敬久/脚本:瀬々敬久と井土紀州)がスタート。2014年の『こっくりさん劇場版 新都市伝説』(仁同正明)まで、関連の題材で10作品ほど作られている。2004年の韓国映画『コックリさん』ではブンシンサバ、2014年のアメリカ映画『呪い襲い殺す』ではウジャボードなど各国に同様の儀式があり、それを題材にしているホラー作品がある。ちなみに、ウジャボードはアメリカの他のホラー作品だけでなく、しばしば見かけるほどポピュラーな存在である。

2006年の『口裂け女』(監督:白石晃士/脚本:横田直幸と白石晃士)、2008年の『ひきこさん』(監督:永岡久明/脚本:高橋祐太)、、2012年の『戦慄怪奇ファイル コワすぎ』シリーズ(白石晃士)、などに引き継がれていく。

 

 

その3は、不条理ホラー(ソリッド・シチュエーションホラー)

1999年の『富江 tomie』(及川中)、2000年の『うずまき』(監督:higuchinsky/脚本:新田隆男)、2002年の『ドッペルゲンガー』(監督・脚本:黒沢清/脚本:古澤健)など。

代表は、『富江』シリーズで、1999年から2011年の『富夫』(伊藤潤二)まで9本(テレビ作品2本も入れれば、11本作られた邦画のヒットシリーズ。

ここには、円谷プロの怪奇特撮シリーズ、実相寺昭雄の影響も強いと思われる。 

『リング』 のビデオテープによる感染もある意味、ここに入ると思われる。

拾った定期入れのせいで殺されていく2006年の『オトシモノ』(監督:古澤健・脚本:古澤健と田中江里夏)なども。

『Guiniea pig ギニーピッグ 悪魔の実験』は監督名さえないいわゆるスナッフフィルムの体裁の作品で、『リング』の呪いのビデオを生み出す源流と言えないこともない。

(『ギニーピッグ』シリーズは、全体ではゴア、スプラッタ、グロテスク、とくくられるが、作品ごとにタイストが微妙に異なる。なかでも、1988年の『ザ・ギニー・ピッグ マンホールの中の人魚』(日野日出志)は、異色な幻想ホラーとなっているそうで、

(1990年の『ラッキー・スカイ・ダイヤモンド』(橋本以蔵)は、実は『ザ・ギニーピッグ』シリーズの1988年の『ザ・ギニーピッグ2 ノートルダムのアンドロイド』(倉本和比人)に続く、第三弾だったが、別シリーズとなっている。幻覚についてのホラーだそう。ちなみに、1991年の『脳内潜在麻薬物質リポート ドラッグレス』(監督:小中和哉・脚本:小中千昭)はその第二弾)

ネットなどの評価から、『ザ・ギニーピッグ マンホールの中の人魚』などは、ストーリー性、テーマ性においても、Jホラーを生み出した一本とも言っていいような気もするが、あまりにも異色すぎて、別の流れととらえたい。それは、1989年の『鉄男 TETSUO』(塚本晋也)などの肉体変化系でも言うべき流れ。これは、1986年の『ギニーピッグ3 戦慄!死なない男』、1986年の『普通サイズの怪人』(塚本晋也)から始まっていると言え、2011年の『へんげ』(大畑創)などにつながっていく。そもそも、これも『四谷怪談』のお岩さんの毒で崩れていく顔などが源流であろう)

2004年の『稀人(まれびと)』(監督:清水崇/脚本:小中千昭) はこの『ザ・ギニー・ピッグ マンホールの中の人魚』の影響があるのではないか?

1960年の『砂の女』(監督:勅使河原宏/脚本:安部公房)もここに入れたい。

 

(こういったことからも、Jホラーの起源は、1988年以前にあることは当然、推測される。多く作られた日本映画黄金時代の怪談映画にやはり源流はあると言える。それを日本だけの表現として、発展させていった、鶴田法男、黒沢清、小中千昭、高橋洋、石井てるよし、中田秀夫、清水崇、落合正幸・・・などの先駆的作家によって、明確な手法として確立されていったのだ。例えば、『リング』の呪いのビデオの映像は、1977年の短編映画『二頭女‐映画の影‐』(寺山修司)が元であろうことは一目瞭然だ。1961年の『回転』のイメージシーンの影響もありそう。だが、この『二頭女』はホラー映画ではない。ホラー映画ではないからこそ、そこの中のホラー的な要素を表現に変換d寝きるかどうかは新しい技術なのだ。Jホラー的な表現の原点を探していけば、より深い時代のものも出てくるだろう。だが、表現もまた歴史の積み重ねからは逃れられない)

 

この不条理ホラーには、1999年の『発狂する唇』(監督:佐々木浩正/脚本:高橋洋)などのホラー・コメディも当然、入る。

 

 

その4は、 デス・ゲーム系ホラー。

2000年の『バトル・ロワイアル』(監督:深作欣二/脚本:深作健太)から日本で突然再生したジャンル。

(スティーブン・キング系の小説から始まり、アメリカでは80年代にいくつか映画などが作られた。1987年の『バトルランナー』など。『バトル・ロワイアル』自体もキングの『そのロングウォーク』からインスパイアされている)

日本では、漫画でデス・ゲームが頻繁に作られていたことから、小説『バトル・ロワイアル』へ繋がったと思われる。

(小説『バトル・ロワイアル』は1998年の第5回ホラー小説大賞にノミネートされ、1999年に出版)

『バトル・ロワイヤル』以後デス・ゲーム系ホラーが雨後の筍のように生まれた。

代表作は、2003年の『バトル・ロワイアル II~鎮魂歌(レクイエム)~』(監督:深作健太/脚本:深作健太と木田規生)、2007年のテレビ放送の『パズル』(演出:都築淳一と佐藤源太/脚本:佐藤久美子)、2010年の『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』(監督:中田秀夫/脚本:鈴木智)など。

 

このジャンルは、ほかのJホラーの流れを取り入れたものも多く、2007年の『リアル鬼ごっこ』(柴田一成)は不条理ホラーのデス・ゲームものとなっている。

(2015年の『リアル鬼ごっこ』(園子温)まで6本(テレビ作品2本を入れれば、8本作られています))

人狼ゲーム系もここに入るかと。(2013年の『人狼ゲーム』(監督:熊坂出/脚本:夏野みや子と川上亮と熊坂出)など)

 

だから、『バトル・ロワイアル』も起源の一本なのだが、2000年とJホラーの爆発作品『リング』以後でもあり、別扱いとする。

 

 

Jホラーは、このオカルト(幽霊)ホラー、サイコ(拷問系)ホラー、妖怪(都市伝説の化物)ホラー、不条理ホラー、デス・ゲーム系ホラーの5つの流れがある。

(ミクスチャーされて、複数のジャンルに渡っているものも少なくない)

すべてに共通するのは、肉体的であっても心理的な不安感を表現する傾向が強い。

不穏な空気、気が狂うこと、システム、一見恐ろしくない物事で恐怖を引き出す意識の変換(怖いもので笑わせるのも同様)、これがJホラーが持つもっとも特徴的な表現なのではなかろうか。

 

 

 

1988年にした理由は、Jホラーの作品に現れる内容が、この年に生まれたこの4作品に散見できるからというのもある。

 

『死霊の罠』、『DOOR』には、サイコ(拷問)、怨霊、都市伝説(スナッフフィルムも)、不条理(謎のテープ)と4つある。

そう考えると、『死霊の罠』のインスパイア元の『死霊のはらわた』を作ったJホラーのお父さんは、サム・ライミとも言えるかもしれない。

なんといっても、『呪怨』のアメリカ版をプロデュースしたのも彼だ。

『死霊のはらわた』はスプラッタの生みの親であるだけでなく、Jホラーの精子だったと言えるのかもしれない。

 

『サイキックビジョン 邪願霊 ~狙われた美人キャスター~』 はファウンドフッテージもので、元々テレビ素材という状態の作品がビデオ作品で発売され、テレビでの視聴にリアルな恐怖を持ち込んでいる。

これは、80年代にあった、スナッフ(実際の殺人を撮ったもの)ビデオの都市伝説の流れを汲んでもいるのだろう。

これは、『ほんとにあった怖い話』(監督:鶴田法男/脚本:小中千昭)などの心霊実話系、2003年からTV放送された『怪談新耳袋』(清水崇、豊島圭介ほか)の現代怪談、フェイクドキュメンタリーのトップランナー白石晃士作品へとつながっていった。

(ただし、企画時の順番などは難しい問題がある。シンクロニシティは創作の常であるから)

 

『スウィートホーム』は連綿と続いている家ものホラー(『TATARI』、『ヘルハウス』、『家』、『悪魔の住む家』、『死霊館』など)の流れのもので、』日本でも1977年の大林宣彦の『HOUSE/ハウス』(脚本:桂千穂)もある。

この『HOUSE ハウス』をJホラーの起源とする人も多いようです。

(『ジョーズ』のようなホラー作品を作りたいとプロデューサーがCMで活躍していた大林宣彦に依頼して、誕生した、アメリカを意識して、なお日本的な内容と考えたら、その論にも十分に頷ける。ただ、そうなってくると1958年の東宝変身人間シリーズ第一弾の『美女と液体人間』(監督:本多猪四郎と円谷英二/脚本:馬淵薫)に続く、1960年の第2弾の『電送人間』(監督:福田純と円谷英二/脚本:関沢新一)は新しい霊体表現をしているともいえるので、拡大解釈としては、ここから始まったとしてもいいかもしれない)

ちなみに、『HOUSE/ハウス』は日本のコメディ・ホラー(ある種の不条理ホラー)の始まりといっていいだろう。

(1977年からと考えれば、2017年で40周年でもいいかもなぁ)

 

『HOUSE ハウス』、『スウィートハウス』の舞台は洋館で西洋ホラーの影響が強いが、そもそも怪談には屋敷もの(化け猫映画などに多い。1953年の『怪談佐賀屋敷』(監督:荒井良平/脚本:木下藤吉)など)というのもあるので、、日本的なホラーとも言えると思う。(1953年の『雨月物語』(監督:溝口健二/脚本:川口松太郎と依田義賢)も屋敷ものだろう。『砂の女』もそうかも)

『呪怨』はこの家ものホラーの解釈を広げたもので、日本家屋にしており、直系だが、日本生まれになっている。

(古くから、落語的な怪談話を笑いに変えたものはあったが、現代作品として)

それは1999年の『発狂する唇』(監督:佐々木浩久/脚本:高橋洋)などへとつながっていくが、こちらはJホラーではあるが、支流といえるのだが、これが、のちの井口昇、西村善廣などのJスプラッターにつながっていく。

(2007年の河崎実の『トンデモホラーシリーズ』3作の『あっ!お皿に首が乗っている!』、『あっ!この家にはトイレがない!』『あっ!生命線が切れている!』なんていうのも挙げておきたい)

 

 

とういうわけで、この4本、『サイキックビジョン 邪願霊 ~狙われた美人キャスター~』、『スウィートホーム』、『死霊の罠』、『DOOR』に、現在まで続くJホラーの要素の種を見つけることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そもそもの話、このJホラーという言い方は、いつから呼ばれるのようになったのか?

 

 

これは、明確にはわかってません(現在の菱沼調べでは)

仙頭武則とWOWOWが始めた1993年にJ・MOVIE・WARSという呼び名が影響しているか?

Jポップという言い方があったので、そこから派生したのではないかと推測する。

どうやら、Jポップという言い方は90年値第初頭からじょじょに使われ始め、CDが爆発的に売れた94年頃には一般的に広まったようだ。

『女優霊』はJホラーの原点というような言い方がされていたが、1998年の『リング』と『らせん』では、まだJホラーと明確には呼ばれていなかった。(宣伝文句は、「デュアル・ホラー・ショック」だ)

ジャパニーズ・ホラーという言い方は1990年代初期から和製ホラーの初期からつかわれ始めていた。

そこから、93年のJムービー辺りの影響もあって、Jホラーという言い方も出始めたようだ。

(Jムービーはまったく定着しなかったが)

1995年の『女優霊』には、Jホラーという言い方も見られる。

J・MOVIEを始めた、WOWOWが『リング』ヒット後に、放送するJホラー作品にJホラーというラベルを貼ったということもあったのかもしれない。

ただし、鶴田法男監督によると、2000年の『リング0』では、一般的には、まだ和製ホラーや心霊ホラーという呼ばれ方をしていたそう。

鶴田法男さんや高橋洋さんは、この当時のマスコミなどによる、この無頓着な和製ホラーという呼び方に、まるでホラーが西洋から来たもののような表現は、古来から日本には怪談というホラーがあるのに失礼だと、憤りを感じていたそうです。

 

一般的にJホラーという言葉が認識されるようになったのは、『リング』のヒット後、ハリウッドリメイク『ザ・リング』が決まった2000年くらいからではないか。世界に認められたジャパニーズ・ホラーとして。

そこに、宣伝側の意図、Jホラー作家による啓蒙活動も相まって、Jホラーという言葉が定着していったのではないか。

そして、『サ・リング』の公開の2002年には、完全にJホラーという言葉は定着していた。

(手前味噌だが、菱沼は1997年にライター見習いといて、邦画界入りし、角川2本てホラーの一本『死者の学園祭』(監督:篠原哲雄/かy九本:安倍照男)の企画初期に携わり(2000年公開。同時上映『仮面学園』(監督:小松隆志 /脚本:橋本裕志))、『リング2』の企画会議への参加、『リアル鬼ごっこ』初期企画にも参加しており、Jホラーの隆盛とともに過ごしてきた。だが、師匠の関係もあり、直接的な関わりは少ない。プロデュースはしたが、ストレートなホラー作品は監督していないのですが)

 

2004年に公開される、東宝の“Jホラーシアター”シリーズは、それを受けて、動き出し、命名されたのではないか。(企画開始は2003年か?)

Jホラーシアターは、2004年の『感染』(落合正幸)、『予言』(監督・脚本:鶴田法男/脚本:高木登)から始まった、東宝によるホラー・シリーズ。

以後、2005年の『輪廻』(監督・脚本:清水崇/脚本:安達正軌)、2006年の『叫』(黒沢清)、2007年の『怪談』(監督:中田秀夫/脚本:奥寺佐渡子)、2010年の『恐怖』(高橋洋)の6本作られた。

このシリーズ、実は、Jホラーの5つの流れにない作品が多いのも特徴。(『輪廻』と『叫』は幽霊ホラー)

『感染』は病気系パンデミック・ホラー、『予言』はファンタジー・ホラー、『怪談』は怪談(Jホラーや和製スプラッター以前への先祖帰り)、『恐怖』は医療ホラー。

『感染』は、今こそリアルな内容で、早すぎたのだが、描写に妙な不条理感があって、なかなかのアンビバレンツ。

『予言』は、名作漫画『恐怖新聞』をモチーフに「よくぞ!」というアレンジで、日本ならではのオリジナルな恐怖を生み出している。

だが、『感染』と二本立てとしては変化球が過ぎ、坦々つけ麺と天津飯のセット的な組み合わせで、せめてどちらかがラーメンかチャーハンであってくれれば。

 

『感染』のパンデミックホラーも『リング』にもある要素だし、『怪談』も幽霊ホラーでもあり、ホラーの王道ではあるのだが、どれも、Jホラーの王道ではなかった。

『輪廻』は出来がいいのだが、なぜか日本では評価、認知ともに低い。海外評価は高いのよ。ただ、Jホラーでは珍しい人形ホラーでもあるせいかもしれない。都市伝説の髪が伸びる日本人形などはあるが、日本では人形ホラーは鬼門なんじゃないかしら。『劇場霊』の例もあるし、『LOFT』(ミイラも、ある種の人形だろう)もそのせいかイマイチ印象がボンヤリしている。海外では人気のジャンルで『チャイルド・プレイ』、『マジック』、『ドールズ』、『蝋人形の館』、『ウエストワールド』、『SAW』、『死霊館』、『アナベル』などなど名作駄作が多数ある。

その上、ミステリーでループもので裏舞台ものというミクスチャーぶりはおいらは大好物だが、日本では受け入れづらかったのか。

(このミクスチャーを清水崇は2009年の『戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH』(脚本:保坂大輔)にも応用して失敗している。ただ、『呪怨』はグランドホテル形式に家ものホラー、母子の怨霊、時間軸シャッフルなど、ミクスチャーで成功してるだけに、ミクスチャーしすぎのせいだとも言えないフシもある)

『叫』は、王道を歩んでいる傑作なんですが、そこから続く『怪談』、『恐怖』がまた変化球。

 

Jホラーの先駆者たちが多様性に挑んだのだろうが、Jホラーの看板を掲げたメジャーによるホラー・シリーズがJホラーとしては変化球、外道だったので、観客は「コレ?」という印象になったのは確か。

このシリーズがJホラーを尻すぼみにした可能性は高いと見ている。 

  

1991年の『死霊の罠2』の予告編では、「本格派和製スプラッター・ホラーの誕生」という宣伝がされている。

記憶では、やはり、『リング』がアメリカでリメイクされた『ザ・リング』公開の2002年辺りから、ジャパニーズ・ホラーと呼ばれ出したような・・・。

 

 

ちなみに、アメリカでリメイクされたJホラーは、1995年の『女優霊』(監督:中田秀夫/脚本:高橋洋)が2009年の『THE JOYUREI 女優霊』、1998年の『リング』が2002年の『ザ・リング』と2005年の『ザ・リング2』、1999年の『呪怨』が2004年の『THE JUON/呪怨』と2006年の『呪怨パンデミック』と2009年の『呪怨 ザ・グラッジ3』、2000年の『回路』(黒沢清)が2006年の『パルス』、2001年の『仄暗い水の底から』(監督:中田秀夫/脚本:中村義洋と鈴木謙一)が2004年の『ダーク・ウォーター』、2004年の『着信アリ』(監督:三池崇史/脚本:大良美波子)が2006年の『ワン・ミス・コール』となります。

ちなみのちなみに、『リング』は先に韓国で1999年に『The Ring Virus』としてリメイクされています。

あと、2008年のアメリカ映画の『シャッター』(監督:落合正幸/脚本:ルーク・ドーゾン)は、Jホラーの影響を受けた2004年のタイ映画『心霊写真』(監督・脚本:パークプム・ウォンプム とバンジョン・ピサヤタナクーン)のリメイク。

同2008年の『ENDCALL』 (山本清史)はアメリカと日本が資本の逆輸入Jホラー映画。

2007年の『1303号室』(監督:及川中/脚本:大石圭と佐藤孝昌と及川中)はアメリカ資本のアメリカ製Jホラー映画。

2007年の『ドリーム・クルーズ』(監督:鶴田法男/脚本:鶴田法男と高山直也)は、アメリカ製作のホラー・シリーズである『マスターズ・オブ・ホラー』の一編で。輸出されたJホラーの発展系の一本。

あ、2014年の『口裂け女 in L.A.』(監督・脚本:比呂啓と廣瀬陽と小川和也と曽根剛)は、日本映画です。

 

 

 

はい、いつもどおりですが、脱線が過ぎました。

閑話休題、本線に戻ります。

 

 

この1988年がJホラーの導火線がつなげられた年と考えてよいと思う。
これは、80年代のジャパニーズ・スプラッタからつながっている。

(ただし、Jホラーの元祖と言われるソフト作品『ほんとにあった怖い話』は1991年なので、そこが明確な始まりとしてもよいとは思う。だとすると、2016年は25周年になる。ちなみに小説『リング』の刊行も1991年)

(鶴田法男監督によると、1991年にビデオ『ほん怖』を発表した時は、人間が立ってるだけの幽霊描写に、怖い、と思いつつも理解できない、という批判も少なからずあったそうで、引き裂かれる思いが何年も続いたとのこと)

 

そして、Jホラー黎明期の作家による活動(作品だけでなく)が、Jホラーを育て、日本、世界に新しい恐怖を広げていったのだ。

 

 

 
だから、2018年は、Jホラー隆盛20周年だけでなく、Jホラー誕生30周年と見てもいい。
(つまり、Jホラー誕生の10周年が『リング』1998年ということ。では、20周年の2008年には何があったか。井口昇、園子温、西村善廣などによって、JホラーがJスプラッタになり、爆発から花火になった年と見ていい。2007年の『片腕マシンガール』、2008年の『愛のむきだし』、『東京残酷警察』(脚本:西村善廣と梶研吾)がその代表作。ジャパニーズ・スプラッタからJホラーに移行したのに、また戻るという円環を描いたとも言える。ただし、Jスプラッタ作品でいわゆるJホラー的な演出は薄い)

 

Jホラーは、1988年に導火線がつき、1998年に爆発し、2008年に花火となった。 

 

 

さて、これから、この打ち上がったJホラーという花火は、どうなっていくのか?

 

 

 

 

Jホラーのハリウッドリメイクも2009年が打ち止めになっているように、このあたりがJホラーの終焉。

(『呪怨 黒い少女』(安里麻里)、『呪怨 白い老女』(三宅隆太)も2009年)

2010年以降は、目立ったJホラー的作品はなく、2010年のJホラーシアターの『恐怖』、2012年の『貞子3D』(監督・脚本:英勉/脚本:藤岡美暢)、2013年の『貞子3D2』(監督:英勉/脚本:保坂大輔と杉原憲明)、『クロユリ団地』(監督:中田秀夫/脚本:加藤淳也と三宅隆太)以外では、Jホラーの印象的なヒットはほぼない。

(ただし、佐藤信介の監督による2010~2011年の『GANTZ』前後編(脚本:渡辺雄介)、三池崇史の監督による2012年の『悪の教典』(脚本:三池崇史)、2014年の『神様の言うとおり』(脚本:八津弘幸)などをホラー作品として入れれば、なくはない。あと加えて、2012年から始まり、現在も継続している白石晃士の『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』も入れたい)

そして、2016年にJホラーの復興が始まる。

 

おいらは、今年、『貞子vs伽耶子』(監督・脚本は、jホラー勃興期から、ホラー映画で気を吐き、モキュメンタリーホラーで世界レベルの作品を発信し続け、Jホラーをつなぎとめてきた白石晃士)が出来て、この原点に終止符が打たれると見ている。

 

2016年は、Jホラーの終わりであり、新たな始まりの年だ。

80年代のジャパニーズ・スプラッタから、2000年代のジャパニーズ・スプラッタまでの円環が切れ、螺旋が始まる予感。

『リング』が『らせん』へと繋がったように。

(そして、原作小説はとんでも展開の『ループ』へ繋がる。これを映画化できるとき、方がホラーも大展開したと言えるような気もする)

  

 

2016年に終わり、そこから約1年かけて、Jホラーは再生の黄泉比良坂を駆け上がり、2018年に再度、爆発するはず。
(製作されるのは2017年になる可能性大だからだ)
つまり、この今年、来年には、日本ホラー映画界が面白くなると予言しよう。

新たな導火線を火が走ってるってことだから。

そいつが爆発する。

新たな始まりだ。

そこから、Jホラーは新しい何かに変わるだろう!

ラストで終わったともわせて、また始まるのは、ホラーなら当たり前だろ!!

なんどもなんどでも蘇り、いくどもいくどでも生まれ変わる!!!!!!!!!

 

そう、2016年の『アイアムアヒーロー』(監督:佐藤信介/脚本:野木亜紀子)のような大作ゾンビ映画がヒットしたりするのは、新たなJホラーの予兆。

(2015年の『母と暮せば』(監督・脚本:山田洋次/脚本:平松恵美子)をホラー作品という変わった意見もなくはない)

大作でなければ、ホラーもヒットしないという映画格差が生まれている。

(とはいえ、まぁまぁ大作であっても、2013年の『喰女-クイメ-』(監督:三池崇史/脚本:山岸きくみ)、2015年の『残穢【ざんえ】‐住んではいけない部屋‐』(監督:中村義洋/脚本:鈴木謙一)、『劇場霊』(監督:中田秀夫/脚本:加藤淳也と三宅隆太)、2016年の『のぞきめ』(監督:三木康一郎/脚本:鈴木謙一)のようにコケる作品も少なくない)

現在の無残な環境・・・。

それでも、まだ、ホラーは低予算でもヒットする力があるんだ。

経済が苦しい時、ホラーはヒットするというジンクスもある。

Jホラーの始まりが、80年代の終わりのバブルの終焉と一致するのは偶然じゃない。

繰り返すけど、今こそ、ホラーの面白いのが生まれるタイミング。

もちろん、期待は、6月に、白石晃士の『貞子vs伽耶子』、黒沢清の『クリーピー 偽りの隣人』、清水崇の4DX専用映画『雨女』までくること。

これに、『ヒメノアール』(吉田恵輔)、『ミュージアム』(監督:大友啓史/脚本:高橋泉と藤井清美と大友啓史)なんてのまで。

 

そして、キング・オブ・モンスター映画『ゴジラ』の12年ぶりの日本版『シン・ゴジラ』もくるしね。

 

 

ここらへんのランキングチャートをドンミスイットってことなのよ。

てことはだよ、ほら、Jホラーをやる(見る)なら今からだぜっ! てことなんだ。

 

 

  

それと、もしかしたら、ブレイクスルーへのとっかかりは、少女漫画系ラブストーリー×Jホラーのミックスじゃないかなとか予言してみる。

 

 

 

そして、こうやって、いろいろとこじつけるのもホラーの常套手段なんだっ!!

陰謀とか、妄想とか、念とか、もういろいろとねっ!!!

 

 

てことで、以上、異論は受け付けます。

というか、訂正、修正、ご意見お待ちしてます!!
足りないところばかりなので。

Jホラーの演出とはどういうことかも、いつか書かねばなぁ。

それでは、ホラーファンの皆様、どうぞ、よろしゅう、また、明日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________________________

追記。

JホラーとJホラー表現とをここでは分けている。

 

どうやら、世界では、Jホラーはホラーの一ジャンルになっており、日本的な解釈をしたホラーを指すようで、ラース・フォン・トリアーは、『アンチクライスト』はJホラーからインスパイアを受け、応用していると答えており、映画内には、森の存在的な恐怖表現などももちろんあるが、拷問、サイコへと変貌する妻という描写が中心を成しているのは、そういう部分もまたJホラーになっている。

 

最近作のスペイン映画『マジカルガール』 から、Jホラー的な影響を感じたが、どうなのだろう?

 

 

Jホラー・シアターでも、『感染』の変形スプラッターが第一弾であり、『輪廻』は変形シリアルキラー、『恐怖』はメディカル・ホラーで、すでに心霊ホラーを発展応用させている。

 

1985年の『餓鬼魂』(監督:鍬田正義/脚本:大和屋竺)は円谷プロのオリジナルビデオ映画で、80年代のホラー作品としては記念的な作品という記述を見つける。(未見なので、内容を判断ができず)

ここを起源とする説もアリなのかしら?

  

 

1986年の『処女のはらわた』(ガイラ)、同年の第2弾『美女のはらわた』が日本初のエロス・スプラッターという記述を見つけたが、スプラッターとしては、初ではないから、こういう書き方なのかな?

(『ギニーピッグ』は前年1985年で、続編は1986年から)

 

  

Jホラー表現は、怪談映画の復興からという話もある。

となると、怪談映画の始まりがJホラーの始まりだというのも当然の意見になる。

ネットで調べた限りでは、日本の怪談映画の始まりは、1910年の『牡丹灯篭』(吉沢商店)のようだ。

同年には、『新牡丹灯篭』(吉沢商店)(続編か?)、『お岩稲荷』(横田商会)、『乳房之榎』(横田商会)がある。

 

そうなると、Jホラーの起源としては、1910年、1960年、1977年、1985年、1988年など、まぁ、いくつもあるので、あなたがこれだ思うやつを選んでください。

おいらは、現在への影響が語られる作品群が生まれた1988年が一押しで、『HOUSE ハウス』の1977年を二押しです。

(今年発売された『Jホラーヒロイン最恐大全』に載っている最古の作品は『HOUSE ハウス』のようです) 

 

Jホラーとは、つまるところ、人間への恐怖なのではなかろうか。悪魔、モンスター、異形なるもの、アニマル、ディザスター、神、ではなく、人が形を変えたもの、人の形をしたもの、人の内側のもの、人の心が見せるもの、人がした行い、人が残していったもの、からの恐怖をすくい取るものなのではなかろうか。

 

 

 

 

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3 コメント

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Unknown ()
2017-09-17 09:34:26
イタリア映画や古典映画の記述が少ないですね。
「回転」(1964)が入ってるなら直接霊を見せない演出がJホラーに影響した「たたり」(1963)も入れてほしいですね。
あと、中田秀夫と黒沢清が蓮實門下で相当なシネフィルだったことも記述してほしいですね。

「女優霊」は「シェラ・デ・コブレの幽霊」(1964)がネタ元で「リング」(1998)のしょっぱなの展開は「チェンジリング」(1980)のパクリ。
「仄暗い水の底から」の子どもが入れ替わる演出は「 ザ・ショック」(1976)の援用です。
(どれもこれもマジソンズに書いてます。http://www5b.biglobe.ne.jp/madison/wmt.htm

あと「阪急ドラマシリーズ」の「学校の怪談」(1994)がJホラーに相当関わったことは無視されがち。
黒沢清監督の「花子さん」はイタリアンホラーの影響が満載でカオスな展開が楽しいですよ。
返信する
Unknown ()
2017-09-17 09:44:27
基本中の基本だけど「恐怖奇形人間」の土方巽
の前衛舞踏が「リング」の貞子や「呪怨」の伽椰子の動きに影響を与えたことも忘れがち。
ちなみに映画版でテレビから出てくる貞子を演じた伊野尾理枝はアングラ劇団万有引力出身
https://twitter.com/rierie_inoo
返信する
御礼 (ひし)
2017-09-17 15:34:47
>Unknown (あ) さん

ご意見ありがとうございます。
 
洋画ホラー関係は触れられれば程度に留めたので、(ただえさえ脱線が多いので)今後、このことについて、新たに記事を書くときに触れさせていただきます。
ありがとうございました。
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