菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

生板の上の鯉日記 その6

2007年11月01日 00時04分23秒 | 創作捜索日記
稽古4週目。


台風がさっと来て、さっと帰った。


4週目は、オイラがVPの仕事で、稽古に行けず。
自主練習となる。
初期からチームを意識してもらってはいたが、それぞれの班だけでの練習。
それぞれの班のメンバーだけで、稽古するのは、はじめて。

   
稽古後のメンバーからもらったメールを読む限り、徹底的に通し稽古したとのこと。
まだ途切れ途切れの台詞ではありながらも、何とか、通せたよう。
その、まぁ、何とかなったおかげで、チームの絆は強まったようだ。
あくまで、報告からの推測だけど。

 
あと、後輩のジャバに1班だけ、見学だけ行ってもらっていたので、報告を受ける。
どうやら、まだ台詞で手一杯で、動きがおろそかとのこと。
しかも、アクシデントもあり、稽古に来れぬものもいたとのこと。
メンバーは、かなり不安になっていたよう。
これは、いい傾向でもある。
不安は友だからだ。
不安はエネルギーだ。
不安は心を揺するからだ。
動揺は、動く揺れると書くじゃないか。

で、2班も同様だったようだ。

それぞれが、稽古場を使えない時も声掛け合って、喫茶店とかで自主練習を始めたようだ。


舞台でも映画でも、必要なことの一つに、チームシップがある。
演技に個人プレイはありえない。
チームプレイだ。
一人芝居さえ、一人じゃ出来ない。
スタッフとキャストもチームだ。
個が集まって、群となる。
一匹狼は、わざわざ一匹を強調しなければならない。

同じ仕事をするわけじゃない。
それぞれがそれぞれとして、己の仕事を真っ当に全うする。
ソレを美しいと、オイラは思う。

孤高の美さえ、連携の美の対比で存在する、と。
夜空に輝く星が恒星で、我らが太陽系の太陽で、ならば、あの光ひとつひとつの回りに水金地火木土天海冥がぐるぐる回っているんだ、と。 
 

たぶん、この一人じゃ出来ないというところに、芝居の魅力があるんじゃないか、と思うんだ。
芝居を見せるということは、絆があるということを見せることでもあるんだろう。
ソレは、少し込み入った絆かもしれないけど。


僕らは、たった、ふた月のチームかもしれない。
でも、一生のチームになるかもしれない。
実際に?
心の中で?

 
いいチームになろう。
いい芝居のために。


ま、書くこと無いんで、罪滅ぼしに、美辞麗句でも並べてみるのさ。






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