で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2162回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『ザリガニの鳴くところ』
60年代アメリカの湿地で起きたある死の謎とそれで逮捕された女のサバイバルと恋を語るミステリー・ドラマ。
日本でも話題となったディーリア・オーエンズの世界的ベストセラー文芸ミステリーを実写映画化。
主演は、TVシリーズ『ふつうの人々』のデイジー・エドガー=ジョーンズ。共演は、テイラー・ジョン・スミス、ハリス・ディキンソン。
製作には、南部出身のリース・ウィザースプーンも入っている。
監督は、『ファースト・マッチ』のオリヴィア・ニューマン。
物語。
1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、裕福な家庭の青年チェイスの変死体が発見される。
事故と事件の両面から捜査を進めた警察は、湿地で一人暮らすカイアの家を立尋ねる。
カイアは幼い時から、この湿地で一人で生きてきたため、町の人々から“Marsh Girl”=<湿地の娘>と呼ばれ、異質な存在として疎まれていた。
警察が来ると、彼女は逃げ出してしまう。
原作:ディーリア・オーエンズ 『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)
脚本:ルーシー・アリバー
出演。
デイジー・エドガー=ジョーンズ (カイア・D・クラーク)
テイラー・ジョン・スミス (テイト・ウォーカー)
ハリス・ディキンソン (チェイス・L・アンドリューズ)
マイケル・ハイアット (マデル)
スターリング・メイサー・Jr (ジャンピン)
ローガン・マックレイス (ジョディ・クラーク)
ビル・ケリー (ジャクソン保安官)
デヴィッド・ストラザーン (トム・ミルトン/弁護士)
ジョジョ・レジーナ (幼いカイア)
ルーク・デヴィッド・ブラム (幼いテイト)
ウィル・バンドン (幼いジョディ)
ブルー・クラーク (幼いチェイス)
ガレット・ディラハント (パパ)
アナ・オライリー (ママ)
スタッフ。
製作:リース・ウィザースプーン、ローレン・ノイスタッター
撮影:ポリー・モーガン
プロダクションデザイン:スー・チャン
編集:アラン・エドワード・ベル
音楽:マイケル・ダナ
主題歌:テイラー・スウィフト
『ザリガニの鳴くところ』を鑑賞。
60年代米国の湿地帯、ある男の死の謎とそれで逮捕された女のサバイバルと恋を語るミステリー・ドラマ。
日本でも話題となったディーリア・オーエンズの世界的ベストセラー文芸ミステリーを実写映画化。
衝撃のという予告編はミステリーの部分よりも主人公の生きざまにこそ。ミステリーの部分は、スパイス。ただ、そのスパイスの調合まで読み解くとなるとかなりの舌がいりますが。ミステリーなのは、その湿地の娘の人生と人生哲学。
これはウェットなドラマ、湿地帯が舞台ですしね。
主演は、TVシリーズ『ふつうの人々』のデイジー・エドガー=ジョーンズの南部系の顔立ちとその野生感が濃い目の匂いを出して、注目させる。学び賢くなっていく姿、野性と知性を渡っていく複雑さを体現する。
顔でつくる、ストレートなキャスティングを俳優の技で人物に落とし込んでいる。でも、一番の拍手を送りたいのは、幼いカイアを演じたジョジョ・レジーナ。彼女の人間と動物の間の感じがあってこその湿地の娘という呼称が響く。二人の顔も似ているのよ。こういうところが層の厚さよね。地力がある。
表面的には、けっこう記号的とも言える。やや古典的なスタイルの内容なので、わかりやすい。ここにも米国南部感。一言で言っちゃえば、メロドラマです。一人の女の生きざまを恋愛もたっぷり描くので。ただ、甘くないです。でも、ベタなようで、けっこう深めの人生が描かれるので入口が広くて、出口が狭い、いい映画なのでした。
監督は、『ファースト・マッチ』のオリヴィア・ニューマンで、このベタさの中に毒と詩を潜ませる。世界は美しく棘が刺さる。
ちゃんとライトモチーフ演出などもうっすら取り入れていて、まっすぐな演出ななので、ちょっとテレビドラマ的だったりはします。ゆえに見やすい。表面の部分はすごく読み取りやすいし。沼か湿地かと言えば沼でしょう。だが、沼の方がはまりやすいとも言える。このストレートさは好まれるよね。
美術の確かさ、自然の美しさをとらえつつも、CGで足して、抒情を加える。
世界をどう見るか。映画内にその見える瞬間も入れていて、かなり確信犯なのよね。
やっぱ大きなスクリーンで自然を見るのは強いや。
タイトルは慣用句なわけでもない言葉。ザリガニは鳴きませんし、映画にも出てきません。例えば『棚からぼた餅』というタイトルでぼた餅が出てきたら、ちょっとコメディになる感じでとらえてもらうとよいかも。
終わりかけの劇場は口コミの評判が届いているようで、ほぼ満席でした。内容的に女性が多めでしたね。
人生はまぁまぁ長く辛いのです。だからこそ美しい思い出がスクリュー。
鞄にはサバイバルの道具として愛も入れておく羽作。
おまけ。
原題は、『WHERE THE CRAWDADS SING』。
『ザリガニが鳴くところ』、『ザリガニが歌うところ』。
2022年の作品。
製作国:アメリカ
上映時間:125分
映倫:G
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
ネタバレ。
戻ってくること、戻ってこないことがモチーフになっている。
母は戻ってこない。
ハクガンの群れが戻ってくるのを見るのが最も美しい瞬間。
テイトが戻ってこないことが彼女を傷つける。
ジョディは大人になって戻ってくる。
だが、戻ってきたことにより、彼女は彼と再び愛を深めていく。
チェイスは戻ってくることで、変化し、最後には戻ってきて彼女の最も大事な研究を破壊す。
それは、父の再来でもあっただろう。
最後に彼女は倒れたままでも家の前に戻ってくる。
そもそも、カイアは警察が来たときに逃げているので、そりゃ、つかまるよな。
警察はカイアが犯人であるとするが、その根拠は赤い糸の帽子がカイアの家にあり、その毛糸がチャイスの服から出てきたから。
だが、あの帽子はテイトのものであったことを調べたら、わかるはず。
だが、テイトは疑われない(もしくは操作で判明したが追求しなかったか)ので、警察の捜査が偏見に基づいていることがトムに突っ込まれて(やぐらが消危険だと自ら警告していたこと)しまったときに強く出れなかったのではないか。
カイアはあの日、アリバイ作りをし、チェイスを呼び出して殺したとは推測できる。
チャイスに毛糸はついていたわけだし、最後テイトは貝殻のネックレスを見つけて驚いているから、彼が殺したのではないと思われる。
「私は湿地」という言葉は、ぞの後、「湿地に善悪はない」という言葉も出てくる。それはカイアが善悪を超えて、生存することが優先される野生の世界にいること=殺人も厭わないことを示している。
ということは、もしかすると父親もカイアが殺した可能性もわずかにある。
どうやら、殺すときに、カイアはテイトの帽子をかぶっていたということになる。
テイトからもらうときは少し嫌がっていたから、実はテイトを犯人にする気だったのかも、
だって、カイアは善悪から外れているわけだし、テイトを恨んでもいるしね。
ただ、チェイスがあの帽子をテイトのものだと分かって、彼は嫉妬して、それを家から奪っていった可能性もある。
カイアはネックレスだけでなく、あの毛糸の帽子も取り返したということなのかもしれない。
そして、この映画のシンボルは裸足。
靴のエピソードもあるように、裸足は、彼女の野生を、靴が彼女の社会性を表現する。
明確に聖書でもそれは表示される。
聖書は、人間社会を表し、留置所で裸足でいるカイアの前に現れた弁護士トムは聖書を暇つぶしにと彼女に渡す。
彼女にとって、聖書は自分の家族や誕生日を示すものであり、テイトとの日々や優しくも苦々しい思い出をつかさどる。
はたして、彼女は最期、ボートの上で裸足だったか?