菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

特別なコンサートとは、間違いや脱線があるものだ。

2008年09月12日 17時24分53秒 | 映画のあれこれ
『エターナル・サンシャイン』のメイキングより、


プロデューサー、二人が語る
ミシェル・ゴンドリーについて。
「ミシェルは伝統を嫌う。
映画が誕生して100年以上だが、大半の手法は上手く行くからこそ、踏襲されてきた。
その100年の伝統にミシェルは逆らうんだ。
別の方法を試すと伝統のよさが分かる。
伝統になるには理由があるのさ。
ミシェルはちょっと苦労したが、結局は彼と組んでよかった。」
「要はバランスさ」
「そうだな」



ミシェル本人のコメント。
「コンサートみたいなものだ。
あるコンサートでは、レコードをそのまま再現する。
一曲終わると、次の曲も、次の曲も分かり、いったん終わると20分間、拍手させてから、アンコールを演奏する。
つまらない。
ボクが特別だと思うようなコンサートは、間違いや脱線があるものだ。
映画もそうあるべきだ。
例えば、ドアを開けようとしたら、鍵が間違ってるとする。
そうなると、鍵師を手配したり、友人宅に泊まったりする。
映画もそう作るべきだ」


モノづくりにおいて、何か新しいものを生み出そうという五里霧中というか、手探り感そのものを演出しているともいえる。


ソレを引き受けることや、その期待に答えられる結果を残していくことが必要なのだろうけど。

歴史に残るモノは、たいていこういう伝統への無謀なる挑戦から、生まれてきたと思うのだ。
そして、それもまた伝統になり、また誰かに破られるのを待つ。





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