菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

改変か、脚色か。

2024年08月20日 21時56分00秒 | 映画のあれこれ

現在、日本では、原作改変が悪のように言われている。
原作改変が許されないのではなく、今の日本では漫画やアニメの方が実写やテレビより上位だからということだろう。
そういう点で、小説の原作改変は、そこまで話題にはならない。
もちろん、上位の側なら何をしてもよいというわけではない。
正式な手続きをとったとしても、許されるものと許されないものがあるのはわかる。
作品は愛する者たちのものになるものなのだ。(これは、みなのものになるともいえる。法律にも近いか)
『ザ•ファースト•スラムダンク』で、原作者で監督の井上雄彦が声優を変更した時でも、非難はあった。
たとえば、イエス・キリストのストーリーを忠実にして、あえて、褐色の肌のユダヤ人にしたら非難されるだろう。
避難やファンとひとくくりにされるが、その比率や数はまるで分らない。
評価サイトの数字に表れる場合や興行成績視聴率よ言った数字でわかる場合もある。
ファンは認めていても、ファンでないある種の主義を主張したい人や尻馬に乗った人は非難することもある。

原作はバイブル化してしまう。
でも、清書だって、いろいろな解釈が生まれ、それが学問にもなっている。
古い言葉や抽象的な書き方だし、分量も多いので、解釈の幅が広いからだが。
ちょっとした作品でさえ、いくつもの解釈が生まれる。解釈が一つしかない部分は有ったりするだろうが、それでも、たくさんの人が見たら、全員同じにならないだろう。
万人が認める作品などない。
『アンパンマン』でも、あれだけの力があるのなら、保存がきくパンを一つ二つ持っていれば、顔は上げなくてもいいのでは、なんて意見も出る。(そもそも、あの世界では不必要なものは存在できないらしいので、バイキンマンも必要な存在という設定だったりする)

作品がつくられる、評価される、またつくられる、その繰り返し。
ただ、作品を楽しむ同士、仲良くケンカできたらいいなと思うのだ。
まぁ、一部の人は、作品を楽しんでないのかもしれないけれど。
作品は現実の一部になるものだから。
そうやって、コミュニケーションをしていくのもまたメディアの存在意義もの。
仲良くケンカしていけるよう対話を続けていこうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

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