菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

生板の上の鯉日記 その7

2007年11月04日 02時02分46秒 | 創作捜索日記
稽古5週目。
  
イロイロ片付いて、ようやくこれに専念出来る体制に。
 

音楽や舞台上の美術などもじょじょに決まってきている。
舞台がこじんまりとしたところなので、話自体をそれにあわせた設定にしているものの、やはり5人も舞台上に居続けるとなれば、ソレはそれで、混雑するので、そのさばきと言うか動きの振り付けが重要になるのよね。

演出的にも、少々、設定そのものも変更して、見やすく動き回れる舞台にしようと頭をひねっているところ。

今日は、稽古場に別の組が、実際の舞台の大きさにビニールテープを貼ってくれたので、ソレを元に正確に振り付けしていく。
しかも、どうやら、会場の都合上、現在の床に座る状態は、後方の観客から全く見えないと、聞いていた。
それが確信出来たので、ついにイスを採用し、芝居自体の底上げを行う。

とはいえ、基本的に振り付けの手順は変わらないのだが。
だが、正確に振付けるから、どうしても立ち位置に細かくなってしまう。
まずは、そういうことを気にせず、のびのび芝居することを覚えてもらうべきなのに。
だが、大きくしてから調整していくのは、時間がかかる。
時間の無さは、こういうとこに締め付けがくる。
けどね、彼らのいつかのために、きっと今を有効に使って、ただ今だけに汲々とするのではなく、少しでも先に進める芝居の考え方を身につけて欲しいとも思う自分がいる。
いつだって足りないとこからどうにかするしかないのだ。
たぶん戦後からずっとそうやってきたのが、日本て国なんだろうし。
とはいえ、自然はけっこう足りてるはずなんだが。
何か足りないって感じに囚われて、ホントに足りなくさせたんだろうな。
まぁ、足りないことではじめたアレでしたし。
でも、本当に足りないのか?(稽古時間は足りないが・・・)
だが、けど、でも、しかし・・・。

自問は呪文のように自転して七転八倒だ。
七転び八倒れして、九つ起きて十で前進だ、コンチクショー。



で、今日も一人紹介。

沙麗くんは、モデル業が本業で、本格的な演技は、ほぼ初体験のお嬢さん。
でも、その恵まれた体格が、見栄えよく、内面まで豊かに伝えてくれそう。
なはずなのだが、どっか緊張しいなとこがあって、本人も苦労してるみたいだ。
そのキャラクターを活かした役に、ホン自体を直したんだが、そこにまだ乗り切れてないのね。
でも、君にぴったりの役なんだよ。
聞いたら、沙麗(沙羅じゃないのね)って名は、コートネームて言うヤツからつけた芸名らしい。
コートはバレーボールのコートね。
コート内で呼び合いやすいニックネームみたいなことらしい。
源氏名ならぬ選手名ってとこか。
バレーボールをやっていて、エレクトーンも教えられるほど弾けて、バレエの方もやってて、水泳も得意みたい。そのギャップが素晴らしいのに、自分を強く出すのが苦手みたい。
「すいません」は、少なめでよいんだよ。
そこがキミの良いところでもあるけど、悪いところでもあるんだな。
自分を出すのを楽しめたら、すっごく面白い女優さんになると思うんだけど・・・。
はやく、はっちゃけて欲しいなぁと強く願う。

 

さてさて、立ち稽古は、ほぼ3分の2まで、通しました。
でもね、第二班だけ。
第一班は、お仕事で、二人欠けて、まだフルメンバーでは通したのは一回だけなのよね。
まぁ、個々のメンバーは振り付けを見ているので、動きは入ってくれてるのだろうが、そこはちょっと心配。
今日には、第二班は振り付けは終わって、細かい修正と回数をこなして、こなれていくことになると思うのだが・・・。

まぁ、残り25日で、後半は、第一班につきっきりってことになるのやもしれぬ。


まったくもって、ダブル・キャストは稽古の時間配分が難しいなぁ。
キャストはダブルでも演出は一人だもんなぁ。
見れる時間が相対的に減るから、稽古場が二つあって、つけた振り付けを片方が自主練習して、片方は演出付きって状態だといいのになぁ。
ジャバを演出助手として再投入する必要があるやもしれぬ。
とにもかくにも、来週は広いところでやるので、大きく芝居させよう。

そうそう、今日は、立ち稽古しつつ、セリフ直しもしようと思って、パソコン持って行ったんだけど、ナンデか、調子悪くて立ち上がりもせず。
先日、撮影で小道具として使ったからかしら?
電源コードの問題?
家に帰って、いろいろいじったら、直ったんだけども。
全くトラブルはおきてから慌てるから、その心構えをしとかなきゃな。
舞台の上でもそうだから、ただ覚えるだけの稽古はしたくないのよね。
いかに目と耳と全身のソナーを高感度にして、舞台上に立ち芝居す続けるか、その上で、自分の芝居に没頭するか。 
どこかで突然、閃くから、根気よくやってもらうしかない。
つかむまでは長い道のりなのは、おいらも知ってる。
あれ、見えないとホントただただ深い森の長い道を歩いてる感じなんだよな。しかも、振り返ったり、横道入れば、すぐ開けたように見えるし。
でも、見えるようになるとmその森にはいくらでも花や虫や動物たちが息づいていて、突然、高い山を登っていたことに気づくんだよ。
それを信じて、ただひたすらに歩くしかないんだ。


オイラ、芝居は3時間とか、ぶっ通しで休み無く稽古やるのがいいんじゃないかと思うのだ。
長く集中できる状態を稽古では作って、2時間なりの舞台に集中が途切れずに立てるように。
年齢とか体力的とかそういう問題はあろうけど、下手すりゃ毎日、立つのだから。
まぁ、まだまだ舞台は初心者なので、わずかな経験かと知識の総動員なので、今後調整されていくのかもしれないが。
今は、そう思っている。
なので、今もなるべく明確には、休憩は、要求されなければ、設けていない。

もちろん、そうなると演出家も体力勝負なのだが、逆に、撮影で、鍛えられているせいで、そこの体力は保つみたい。
集中も助監督とは違って、自分頼りなので多いので、途切れないのが、助かる。
きっと、楽しいってのが、あるんだろうな。
自分の言葉で振付け、演出していく楽しさ。
撮影は、どうにもそれ以外のことに神経配ることの方が多いから。
まだ未熟な成果もしれないが。
かの父コッポラもそう言ってたな。
きっと、あのクラスでもやはりそうなのだろうと、自分で自分を慰めてみる。

ゆえに、この楽しさはまた別物なのよね。
ひたすら、芝居の方へ向かっていいってのは、なんだか、すごく気持ちよい。
ああ、舞台楽しいなぁ。
コント、やりたいなぁ。
本気で舞台やってみたくなったわと、やってる最中に思う、ばか者。
そして、自分でも、また生板の上に立ちたいと思う。
丑デルポンテも再開したいなぁ。
おおっと、まずはこっちこっち。
 

明日は最後まで、いけるだろう。
んで、たぶん上演時関より少し長いものになるので、どこ削るか考えないとな。
もちっとテンポ上がると尺ぴったりなんだが、今のチームだと、雑になりかねんので、ペースを落としたのでね。
丁寧にする芝居を覚えてもらわないと。
彼らの今後のためにも。
未熟も幼稚もしょうがないが、粗雑はあかん。
丁寧にやることこそ、大事だもの。
みつを。
じゃなかった、こりゃ、小田遊亀の言葉でした。




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2 コメント

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初めまして (keiko)
2007-11-04 15:30:22
ひし様、当ブログにお越し頂き、ありがとうございました。
稽古状況がリアルタイムで読めるとは観る側にとっては、とてもいい時代になりました(^^)。
これからも楽しませて頂きます。
返信する
ようこそ (ひし)
2007-11-05 20:19:28
keikoさん、ようこそ。

リアルタイムというには、あまりに描写せずに、おいらの思いばかりな日記ですが・・・。
そろそろ、みなも動けるように、なってきたので、そういうのも、俳優陣の素顔とか、も書いていこうかと、思ってます。
語りの邪魔にならぬ程度に。
 
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