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Monkey-ATAX

北米に生息する伝説の獣人 ビッグフット を追い求め、いろいろ活動しています。

ペキン原人はどこへいった?その1

2006-01-10 22:38:02 | 猿系のいろいろ
このブログに初めてトラックバックがありました。ペキン原人についての記事があるブログでした。面白い記事でしたのでその方面に興味のあるかたはぜひご覧ください。
今日はこのブログにもあったペキン原人の化石の行方についての投稿です。

1929年12月2日にてデービッドソン・ブラック指揮下の周口店(世界遺産)遺跡で裴文中が最初のペキン原人の頭蓋を発見した。その後1936年11月までに3人分の頭骨が発見された。しかし1937年7月の蘆溝橋事件による日中戦争の勃発で、当時ブラック(1934年3月心臓発作で急死)の後を引き継ぎ、発掘を指揮していたワイデンライヒはニューヨークに逃れた。このとき北京原人の化石を一緒に持っていくことは許可されなかったが、その後のブラックの働きかけで、1941年9月にアメリカに一時的に保管のためもって行くことになった。北京原人の化石が最後に人目に触れたのは、アメリカへの輸送のため、それが箱詰めにされたときだった。化石は厳重に梱包され、木の枠箱2つに納められた。一つは事務机の大きさのもの、もう一つはそれよりやや小さかった。2つの箱は北京協和医学院の経理部長T・ボウエンのオフィスに送られた。ここまでははっきりしているようだが、その後はよくわかっていない。アメリカ海兵隊の兵舎に向かったとか、輸送の途中で日本軍に押収されたとかいろいろな説があるらしいが、いずれにしろ行方知れずとなった。

ホモ・エレクトゥスの厚い頭蓋骨

2006-01-09 08:16:18 | 猿系のいろいろ
チンパンジーのあらっぽい性格について前回投稿したが、人類進化の系統にあるホモ・エレクトゥス(北京原人やジャワ原人など)もかなり好戦的な暮らしをしていたようだ。その証拠として頭蓋骨の厚さが挙げられている。彼らの頭蓋骨の厚さは現代人の約2倍もあり、この厚さは種内戦闘時の鈍器による頭蓋外傷を絶えずこうむっていたヒト科動物にとって必要な保護機能であった。彼らの化石には同種族により損傷を与えられたとされる跡が多く残っている。当時彼らは小集団ごとに暮らし、各集団の間で日常的に闘争が繰り広げられていたと考えられている。

現代人の頭蓋骨が薄くなったのは、彼らに比べて脳が大きいためである。(北京原人約1L、現代人約1.7L)
頭蓋が厚いままだと重くなることと、脳の冷却性が悪くなるためとされる。
半分の厚みになったから、2倍平和的になったわけではないらしい。あまりチンパンジーをどうこう言えるものでもないようだ。

チンパンジーに噛まれた小池栄子

2006-01-07 22:54:33 | 猿系のいろいろ
小池栄子がチンパンジーに頬を噛まれたとのニュースがあった。
チンパンジーはテレビなどでかわいらしいイメージがある。実際陽気で楽しい性格を持つが、感情の起伏が激しく、時にはかなり凶悪な性格を示すことがある。
チンパンジーの研究家ジェーン・グドールなどの本を読むと、R指定になるような話が盛りだくさんである。
同じ類人猿のゴリラ、オランウータンおよびボノボがわりとおとなしく穏やかな性格なのに、チンパンジーは少し違う。
他の群れとの戦争、リンチ、復讐、子殺し、子食いなど例をあげればきりが無い。
又小柄なので弱そうに見えるが、6歳くらいでヒトの大人よりも力は強くなる。成熟するとヒトの2倍くらいの筋力を持つ。素手で戦ったらヒトはチンパンジーには勝てない。
あまり近づきたくはない生き物である。

初日の出

2006-01-03 08:14:00 | カラテモンキー
千葉県銚子市犬吠崎までkaratemonkeyで初日の出を拝みに行った。
都内ではライトアップされた東京タワーや東京駅のルミナリエを見ながら進んだ。渋滞も少なく、東京はナイトライドが好きだ。
千葉県に入り国道296を走り出すと道は細く、車もいっそう少なくなるが、数k毎にコンビニがあり休憩や補給には困らない。特にミニストップはかならず中に椅子とテーブルがあり、暖かい室内でお茶休憩ができるので、寒い冬にはありがたい。
犬吠崎には元日の2時過ぎに着いた。灯台の前の観光食堂2軒が営業しており、夜明けまで屋外で凍えることなくすごせた。
しかし肝心の初日の出は雲に隠れて拝めなかった。残念

今回の走行距離は約250k。13Lのリュックを背負っていった。中は防寒着やパンなどあまり重くはしなかったので、走っているときに腰や肩が痛くなることはなかった。王滝などの長距離系のイベントでも使えるかもしれない。サドルバックは破損したり、中の荷物が痛んだりと不具合もあるので、注意が必要だ。