一期一会

日々是好日な身辺雑記

春の宴

2023年04月22日 | 日記
20日(木)は35歳から48歳まで勤めていた外資コンピュータ会社時代の仕事仲間との飲み会があった。その中の1人は40歳の時にニューヨークに働く場を移し、家族と移住した同じ歳の男性だ。
彼の帰国の折に何度か囲む会をやっており、前回は6年前だった。その彼から正月に、10人くらいの同じ年代の男女に、近況と4月に墓参りを兼ねて帰国するというメールがあった。
そこには息子さん2人と娘さんの、伴侶とお孫さん5人の13人の家族写真が添付されていた。アメリカ移住に反対していたという息子さん2人の奥さんは白人女性で、絵に描いたようなアメリカンファミリーの様子だ。

勿論彼は大阪生まれの日本人なのだが、商社勤めの父親の関係で子供時代をテキサスで育ち、中学時代に帰国して詰襟の学生服を着せられた時は、違和感を感じたと言う。
大学はアメリカで学び、その学生時代にバイクでアラスカまで行ったらしいが、当時ピーター•フォンダ主演の「イージー•ライダー」とその主題曲(Born to Be Wild)が大人気だった。♪Born to Be Wild♪と歌うSteppenwolfのロックはよく聴いていた。
70年代のアメリカ映画はニューシネマ時代と言われ(明日に向かって撃て)や(俺たちに明日はない)などの、数々の名画を生んでいた。「イージー•ライダー」は名優のデニス•ホッパー、ジャック•ニコルソンが共演の名作で、今のハリウッド映画とは違う。

そんな6年ぶりの彼を囲む会の幹事を自ら買って出た。そしてお店は本社オフィスのあった西新宿にした。



18:00開始の宴席に向かう為に西武新宿に着いたので、最近オープンしテレビでも報じられている東急歌舞伎町タワーを見物してきた。定年まで勤めた会社も最初の2年間は野村ビルだったので、15年間は西新宿に居たのだが、歌舞伎町には殆ど足を踏み入れた事がなかった。
風俗店の看板が目につくあの猥雑さが嫌いだった。それでも伊勢丹向かいの横丁ゴールデン街には馴染みの小さなBARがあり、よく行っていた。
東急歌舞伎町タワーは平日の17時頃だったが、何故か外人観光客や若者で賑わっていた。
2階がカブキホールというカフェや横丁をイメージした飲み屋街、3階がナムコのゲームセンターとなっていた。
東急と言えば渋谷のBunkamuraから演劇、音楽、映画での文化の発信のイメージがあるが、それとは違うし、歌舞伎町というのも田園都市線沿線を開発したデベロッパー東急のイメージと違う。
ぐるっと一回りしたが、昭和の生まれ育ちの身からすると、その時代がそのまま残った思い出横丁や新橋烏森のような呑み屋横丁は好きだが、イメージして作られた横丁はピンと来なかった。
そんな事で久しぶりに足を踏みいれた歌舞伎町は、アパホテルやホテルグレイスリーなどの高層ホテルが建ち並び、どっちに行けば靖国通りに出るのだろうという感じだった。



続いて6年ぶりの宴会の話だが、当初のメールリストの中から2人が仕事の関係などで不参加だったが、この話を廻り聞いて参加させて下さいとの連絡が4名からあった。
一人は大手IT会社に転職し単身赴任先の名古屋から参加し、新卒組男女2人の参加もあった。
一緒の部署で働いた新卒組の女性は、和服姿で参加して息子さんが27歳とか、年月の経つ速さを感じた。

そんな参加メンバーは12人となり、西新宿で個室という条件から、センタービル別館の(音音)を予約した。この店は親戚の飲み会などでも利用しているが、意外と落ち着いて会話が出来る店だ。
日程を決める為に、彼と日本滞在スケジュールの確認したら、大阪→松山となっていたので、昨年6月に旅行した道後温泉の(ふなや)などの情報をメールで伝えたら行ってくれたらしく、良かったと喜んでくれた。その他にもセブンイレブンのさくら餅が美味しかったとか、電車の窓ガラスが綺麗でビックリして、その感激を声に出して言ったら奥さんから注意されたという、大阪生まれの日系人のような相変わらずのオープンマインドの彼だった。

他のメンバーには大手IT会社を退職後システム開発会社を起業し、現在60名の会社の社長を息子さんに譲り、会長職となり趣味の街道歩きをして、日光街道を踏破し、次は中仙道か奥州街道を計画している75歳の人などそれぞれの現況だった。

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