女ひとり、歳をとる。

お金なしの60代、犬2匹と同居中。

我慢が苦手。

2019-05-11 23:03:03 | 日記

あしたは母の日、

わたしの母は72歳で亡くなりました。

50歳を過ぎたころから、物忘れがひどくなり、

父とふたりでやっていた食堂で、

注文間違いや、お勘定の計算ができなくなることが増えました。

病院で診てもらったら、脳の毛細血管の多くが詰まっていて、

所々で小さな脳梗塞が起きていました。

そのため、

得意だった暗算も、自慢の声で歌うように通す注文も、

少しずつできなくなっていきました。

 

独身で子供のいなかった母の姉の割烹店を継ぐために、

母は腕の良かった板前の父とお見合いで結婚しました。

母には好きな人がいましたが、

祖父と祖母、そして母の兄妹たち12人の生活を、

自分を犠牲にして支えた伯母の存在は絶対的なものでしたから、

結婚話は避けられませんでした。

 

父は板前としての腕はよかったけれど、

性格は粗野で短気、社会性はとても低く未熟でしたから、

妻の姉たちが切り盛りする割烹店で、

使用人として働くことは難しかった・・・。

5,6年もすると伯母たちとケンカが絶えなくなり、

そこを辞めて自分で食堂を始めることになりました。

 

割烹店でのストレス、借金だらけの食堂のストレス、

そのはけ口のほとんどは母へ向けられました。

わたしと妹がいる前で、怒鳴りながら、

殴る、蹴る、イスで叩く、髪の毛を持って引きづり回す、

そんなことが日常的に起こりましたが、

母はいつもじっと耐えていました。

 

母の認知症は極度のストレスが関係していると思います。

母がもっと父に向かって行ったら、

自分の姉妹に相談していたら、

心を、もっと、もっと、外へ向けていたら、

もしかしたら、もしかしたら、

もう少し違う人生があったのかもしれません。

 

そんな母を小さいときから見ていたわたしは、

母のように我慢する人生はイヤだ・・・と、

ずっと思って生きてきました。

そのせいで、わたしはいつまでも我慢することが苦手です。

よかったんだか、悪かったんだか・・・。


我が家の小さなベランダにもクレマチスが咲き始めました。


母の日に最近はクレマチスも贈ることが増えたようです。