あしたは母の日、
わたしの母は72歳で亡くなりました。
50歳を過ぎたころから、物忘れがひどくなり、
父とふたりでやっていた食堂で、
注文間違いや、お勘定の計算ができなくなることが増えました。
病院で診てもらったら、脳の毛細血管の多くが詰まっていて、
所々で小さな脳梗塞が起きていました。
そのため、
得意だった暗算も、自慢の声で歌うように通す注文も、
少しずつできなくなっていきました。
独身で子供のいなかった母の姉の割烹店を継ぐために、
母は腕の良かった板前の父とお見合いで結婚しました。
母には好きな人がいましたが、
祖父と祖母、そして母の兄妹たち12人の生活を、
自分を犠牲にして支えた伯母の存在は絶対的なものでしたから、
結婚話は避けられませんでした。
父は板前としての腕はよかったけれど、
性格は粗野で短気、社会性はとても低く未熟でしたから、
妻の姉たちが切り盛りする割烹店で、
使用人として働くことは難しかった・・・。
5,6年もすると伯母たちとケンカが絶えなくなり、
そこを辞めて自分で食堂を始めることになりました。
割烹店でのストレス、借金だらけの食堂のストレス、
そのはけ口のほとんどは母へ向けられました。
わたしと妹がいる前で、怒鳴りながら、
殴る、蹴る、イスで叩く、髪の毛を持って引きづり回す、
そんなことが日常的に起こりましたが、
母はいつもじっと耐えていました。
母の認知症は極度のストレスが関係していると思います。
母がもっと父に向かって行ったら、
自分の姉妹に相談していたら、
心を、もっと、もっと、外へ向けていたら、
もしかしたら、もしかしたら、
もう少し違う人生があったのかもしれません。
そんな母を小さいときから見ていたわたしは、
母のように我慢する人生はイヤだ・・・と、
ずっと思って生きてきました。
そのせいで、わたしはいつまでも我慢することが苦手です。
よかったんだか、悪かったんだか・・・。
我が家の小さなベランダにもクレマチスが咲き始めました。
母の日に最近はクレマチスも贈ることが増えたようです。
ご両親の事をきちんと受け止めて考えられてていいなと思います。ご自身の中でちゃんと消化して認めていられるんですね。 クレマチスのようですね(*^^)v
私も我慢は苦手です。すぐに投げ出してぐずぐず言います(笑)
花の中でクレマチスが一番好きです。
ブログで母のこと書いていたら、いろいろ思い出しちゃいました。わいそうなことが多かった・・・。
最近も我慢が足らず、ちょっともめました