きのう職場の昼礼前、膝の手術をしたOさん♂が、
もう片膝の手術を終わったら、
スポーツクラブに入って膝に負担のかからないように、
水中のウォーキングやフィットネスをして
筋力をつけたいと話していました。
初めはわたしと2人で話をしていましたが、
すぐにSさんとOさんが話に加わりました。
「あんたさ、どうせ続かないよ」
「いつだって中途半端になるじゃないか」
「だから、こうなる前にやれって言ったんだよ」
「だいだい会費の10,000円なんか払わないだろ」
息をつく間もなくOさん♂に大きな声で浴びせられる言葉。
知らない人が聞いたらケンカしているのかと思うでしょう。
その間Oさん♂はニヤニヤするばかりです。
わたしが知らないだけで、
きっとずっとそうだったのでしょうね。
その様子を見ていてだいぶ心がへこみました。
Oさん♂が気の毒なばかりでなく、わたしもとっても疲れた・・・。
もちろん、今までのOさん♂は、
中途半端な所があったかもしれません。
そして今度も、中途半端になるのかもしれない。
でも、否定的な言葉の連続は、良識のある大人の態度とは思えません。
ホントにこの職場がイヤになりました。
わたしの父は、
認知症になって体をうまく動かせなくなった母に、
毎日、毎日、怒鳴っていました。
「いい加減、ちゃんとしろ!」
「ここで死にたいのか!」
「早くしろ!」
「ふざけんな!」
わたしは母の介護を父に任せっきりでしたから、
口出しはしないつもりでしたが、
父の怒鳴り声を聞くたびに辛くて、悲しくて、やりきれなかった。
父と話すのは嫌でしたが、ある日父に言いました。
「お父さん、お願いだからお母さんに怒鳴るのは止めて」
「なんだと!」
「そんなに怒鳴ったって、お母さんは分からないよ」
「俺だって一生懸命やってんだ!」
「でも、その怒鳴り声聞くとあたしが辛いんだよ。
お願いだからあたしのために怒鳴るのは止めてください」
「・・・」
しばらくすると父の怒鳴り声は聞こえなくなりました。
今あの職場でSさんとOさんに、
もう少しトーンを下げて柔らかく会話をしてほしい、
とはわたしは言えません。
でも、Oさん♂を応援したい気持ちは持ち続けられます。
作業が終わり、タイムカードを押して、
ロッカールームへ続く長い廊下で、Oさん♂と並んで歩きました。
「冗談抜きでプールは通おうと思ってるんだ」
「そうですよ。だれがどんなことを言おうとやってくださいね」
「ま、右の手術が終わってちゃんとしてからだけど、今年中には始めたいよ」
「そしたらずっと足が楽になりますね」
「そうそう、そうだね」
頑張ってほしいと思う気持ちは誰にでもあるはず、
そう思ってはいますが、
その表現の違いの大きさにただ驚くばかりです。