うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
お散歩の徒然に観たこと感じたことなどなどを書き込んでいこうかな、

新潟中越地震から学んだこと

2006年11月18日 | ボランティア 
ボランティアという事がどういうものかも分からなかったけれど、新潟中越地震が起きた1ヶ月後、やむにやまれぬ気持ちから災害時対応委員会のメンバーに語らい6人で1泊2日でしたが川口町にボランティアとして参加しました。
このボランティアに参加していろんな事を考えさせられました。

このときから東京に大災害が発生した時には、地域住民として避難所生活の支援のためにボランティアは絶対に必要だ、と思い災害時対応委員会の活動の必要性をしみじみと噛み締めしました。
それまでは、なんとなく必要になるだろうな、と言う感じで立ち上げた災害時対応委員会を、絶対に大きくしていき、地域に必要な避難所運営支援組織として発展させようと決意しました。

地域の皆さんに呼びかけ、町会や行政組織の行う防災活動とは一味違う避難所運営という事に特科した組織の運営というものが、町会や自治体の実施する防災活動とどう違うのか、当初は地域の人たちに理解をされませんでした。
当然です。活動の主体となる我々自身が理解できていなかったのですから。
しかし、活動班ごとに班会を開催しみんなで意見を出し合って議論し、年に一度避難所運営訓練を重ね反省会を開いたりしていくうちに、我々も含めて少しずつ地域の人たちにも理解されてきた感じです。

訓練初年は60人、2年目は150人、3年目は200人、そして今年は230人というように年を経るたびに参加者は増えてきています。
災害時対応委員会の活動をもっともっとPRして、地域に人たちに認知してもらい、もっともっとしっかりしたものにしていき、大災害が発生した時には多くの地域住民がボランティアとして活動してくださる組織にしていきたいです。

新潟中越地震が発生してから2年以上が過ぎました。被災地はまだ完全に復旧したわけではありません。被災地ではこれからも色々と大変だろうと思いますが、「新潟中越地震とボランティア」という被災直後(2~3ヶ月後くらいと思われます)、それまでのボランティア活動を討論会形式で総括したホームページを見つけたので、これを参考にして私なりに考えを纏めなおしてみたいと思います。
現場で実体験した人たちが、その体験にもとづいて発言しているので、貴重な証言がたくさんありますし、今後の災害発生時のボランティア活動に多くの教訓を含んでいます。

こんな提案はいかがなものでしょうか。
新潟では救援物資が来たために、地元の商店街が何も買ってもらえないという現象が起きていました。
たしかアメリカではクーポン券でもって地元の業者から買うようにというふうな援助のしかたが確立しているという話を聞いたことがあります。
東京でも大災害が発生した場合、被災住民に現金でなく期間限定・都内限定で地元の商店(コンビニやスーパー、チェーン店もOK)で買い物ができるクーポン券を発行したらどうでしょうか。決済は集まった救援募金で一定期間(発災2~3ヶ月)後に賄えばいいでしょう。
ある程度の期間が過ぎてから配られる救援募金も必要ですが、発災直後にはこのようなクーポン券を一人当たり数万円程度配布するのも必要だと思います。

大災害が発生した場合、各地の社会福祉協議会が被災住民の救援や支援をする中心になるものと思います。
避難所のスムーズな立ち上げと初期の避難所運営を支援する事を目的とした災害時対応委員会としては区の防災課の人たちとは交流がありますが、社協とはまったく交流がないので話し合いをしたことはありません。

しかし、避難所が立ち上がり数日すれば防災課でなく社協から支援物資などが届く事になると思います。そのころには我々はバックアップに回っており被災住民自身が避難所運営をしていると思います。
そこで避難所運営がスムーズに移行できるかどうかを考えると、平常時から社協との交流が必要かな、と思われます。
防災課の人を通じて連絡を取ってもらい社協の担当者と話し合いを持つべきだろうと思われます。

災害弱者対策については災害時対応委員会でもしばしば話題になります。
避難所に避難してきたお年寄りや身体障害者と軽症を負った人との対応はどうするべきなのか。
怪我をした人はある程度うめき声を上げたりする事でしょう。そのことにお年寄りが耐えられるだろうか。では、お年寄りだけを別の避難所に移したとして、面倒を見切れるだけに人員の配置ができるだろうか。
近隣から支援のボランティアに来ている人たちだって、それぞれに家族を抱えているのです。
被災地以外からどの程度の人数やどんな技術を持ったボランティアが来てくれてからの問題になりますね。

ちょっと長くなりそうなので、続きはまた明日。

ブログ記念日

2006年11月17日 | 亀の甲より年の功
11月17日
今日は私のブログ開始記念日です
2004年11月17日
私にとってはパソコンの師匠とも言うべきTさんから、ブログというものの存在を教えられ、手取り足とりでブログを立ち上げてからはや2年が過ぎました
あのころはgooブログを書いている人は百数十万人単位程度でした。それが今ではgooだけでも670万人以上の人が登録しているのですからね。感慨ひとしおです
この2年間で書いた記事数は690にもなりました。そのなかで作家さんの紹介が260ありますから実質の記事数は430くらい
最初のころの記事を振り返っても、現在の記事を見ても、一つも進歩していない事がわかります

三日坊主の私がこの先どこまで書き続けられるかな 挑戦
今日から私も褌を締めなおしてブログを書いていこうと思います

そこで明日は私のライフワーク(といえるかどうか分かりませんが)のボランティアについて書いて見たいと思います

セミロング・エプロン

2006年11月14日 | 作家さん紹介
袋物作家のTea Roseさんの新作です

ご自身のアイデアによるエプロンをお持ちになりました

通常のエプロンは丈が35cmくらいですが、この作品は55cmくらいあります

初めての作品なのですがとっても使いごこちがよさそうです

クリスマス・プレゼントに最適な作品だと思います

お札とお供物

2006年11月13日 | 亀の甲より年の功
昨日のお会式の時に常圓寺に奉納をしました。
そうしたら諸幽冥除けのお札と台東区の㈱ 扇 謹製の扇ちらし寿司のお供物が入ったお礼を頂きました。
夕食の時においしく頂戴しました。

昨日は日曜日だったせいか万灯の出足が早かった。
例年だと八時半ころに境内が万灯で埋め尽くされるのだが、今年は8時ころには境内が満タンになってしまった。
あの尋常でないこの賑やかさは、体が浮き立ってきます。

お会式

2006年11月12日 | ご近所の紹介

常圓寺のお会式について書くのは去年に引き続き2度目になるかな。
このお寺では毎年「万灯供養のお会式」が行われます。
例年11月12日の夜、と決まっています。
すなわち今晩なのです。たまたま今年は日曜日になりました。

子供の頃からなれ親しんでいたあの鉦と太鼓の音は思い出すだけでも心が浮き立ってきます。
「そ~れ、ここは衾(ふすま)の常圓寺」チキチキ・ドンドン・チキドンドン。
毎年・毎年もう60年近くこの時期になると聞いている鉦と太鼓の拍子です。
そしてこの音が聞こえると、近隣の日蓮宗のお寺からそれぞれ工夫して飾り立てた万灯が檀家さんたちに守られるようにしてやってきます。
今夜の7時半ごろから9時ころまでの間、商店街の通りは物凄い賑やかさになります。

商店街の通りがこの夜だけは車両通行止め(バス等は除く)となり、商店街が万灯行列でうめ尽されます。そのきらびやかな事といったら、うっとりとします。
だが、その賑やかさといったら耳をふさいだくらいでは消えません。
体を通して聞こえてくるそのリズムを聞いていると、自然と踊りたくなってしまいます。
もう朝から、ワクワクしてきます!

避難所運営訓練

2006年11月06日 | ボランティア 
やはり八雲地域の方は避難所訓練についての感心が高いです。
11月5日(日)天気は晴天 とても暖かかったです。
3連休最後の日曜日であるにもかかわらず、昨年よりも多い235名の人たちが避難所運営訓練に参加してくれました。

今回は参加者のほとんどが始めて参加してくれた人だったので、皆さんで防災倉庫のある場所を確認してから、給水訓練・トイレの組み立て訓練・応急救護訓練に参加して頂いてから、アルファー化米や乾パンとスイトンを食べて解散となりました。

お天気にも恵まれましたが、大勢の皆さんが危機意識を持って避難所運営訓練に参加していただいたことは、とってもうれしかったです。

大地震が起きた時は一人でも多くの地域の皆さんが、支援のボランティアに参加していただけるように、お願いいたします。
私共委員会はこれからも、多くの人たちにボランティアとして参加していただき、スムーズな避難所運営ができることを目指してガンバって参ります。