うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
お散歩の徒然に観たこと感じたことなどなどを書き込んでいこうかな、

坂本龍馬を暗殺したのは誰だ

2005年11月20日 | 亀の甲より年の功
私の愛読書に司馬遼太郎著「竜馬が行く」があります。
学生時代にこれを読んで以来、坂本龍馬が大好きになりました。
そしてあれから35年くらいたちますが、いまだに喉に魚の骨が引かかっているような、消化不良のようなのが竜馬の暗殺者は誰か?ということです。

折りあるごとに調べてみましたが、素人にわかるはずはありません。
でもいくつか分かったことがあるので、ここに書いておきたいと思う。
慶応3年11月15日に四条川原町の醤油屋「近江屋」新助方において何者かによって暗殺されました。

まず可能性のあるのは誰か。
1、 新撰組の原田左之助
2、 見回組の佐々木唯三郎・今井伸郎
3、 長州藩
4、 土佐藩
5、 薩摩藩・中村半次郎
以上が怪しい人物や団体である。検証をしていきましょう。

1、殺害現場に残っていた刀の鞘と瓢箪の焼印のある下駄から原田左之助が真っ先に容疑者に上がった。しかし原田左之助はその頃新撰組の幹部一同と島原の「門屋」で宴会をしていたのでアリバイは成立している。更に新撰組はこの当時、近藤勇と土佐藩の後藤象二郎と会談するなどしており、竜馬を暗殺する意思はなかったと思います。

2、昨年NHKが放送した「新撰組」では見回組の佐々木唯三郎が龍馬を暗殺した事になっていた。見回組の今井伸郎は明治になって自分も暗殺隊に加わった事を自供しているが、斬り込み隊には加わらず見張り役であった、と主張している。しかし、この自供調書はどうも誘導尋問によって作られたようで、その内容は真実とはかけはなれているようで、信用できないというのが定説になっています。

3、長州藩は文久3年の禁門の変以来、京都に入る事さえ禁じられていたから、徒党を組んで竜馬を暗殺するなど思いもよらない事だろうとおもわれます。

4、土佐藩は大政奉還から王政復古へ突き進んでいた最中だし、その立案者たる坂本龍馬を抹殺すべき理由はどこにも見当たらない。唯この頃土佐藩内は大政奉還派の龍馬や後藤象二郎と武力討幕派の中岡慎太郎派に藩論は分裂していたらしいが、武力討幕派の首領である中岡慎太郎を殺害しては元も子もないから、例え龍馬を暗殺するにしても中岡慎太郎のいない別の日を選んだででしょう。

5、残るは薩摩藩である。これが一番怪しいと私は思っています。
薩摩藩には「人斬り半次郎」と恐れられた中村半次郎がいた。
しかし彼はその後の葬儀に参列して香華を手向けたりしているから下手人ではないだろうと思われる。
あくまでも武力討幕を突き進めていた薩摩藩にとって、大政奉還から王政復古に向って走っていたこのころの龍馬がじゃまだったことは確かである。それに同じ武力討幕派の中岡慎太郎まで殺されたのだろうか?それは中岡慎太郎率いる陸援隊が薩摩藩としては取るに足りない勢力でありたまたま竜馬と一緒にいたので運が悪かったのである。

以上、素人の私の見解では坂本龍馬を暗殺したのは、薩摩藩の暗殺隊であった、ということになりました。
それも名だたる剣客ではなく、下級武士ではあるがある程度の剣の使い手であったでしょう。
なぜなら、坂本龍馬は.北辰一刀流の使い手であるという噂が流れていたから、生半可の使い手では返り討ちに会うおそれがあったからです。

専門に研究している方からすれば当たり前の事ばかりかもしれませんが、素人考えではこの位しかわかりません。
異論、反論いろいろとあることでしょうね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿