これまでの常識からすると日本原住民は、いつのころか分からないが東南アジア付近に住んでいた民族が西南(九州)地方に漂着し、しだいに近畿地方にまで進出した。
が、後に韓国や中国から移住してきた倭人に追われて、今では北海道の一部にだけ残っているアイヌ民族が日本原住民である、と言うものでしょう。
しかし、これは真実だろうか。
私はこれは違うのではないかと思っています。
紀元前、東南アジア方面からくり抜き舟を使って漂着した人々(ムー大陸の子孫という説もある)、中国大陸の戦乱を逃れて日本に亡命してきた人たちや朝鮮半島に居住していた人々が九州や山陰地方に流れ着いた人々と混血して縄文人と呼ばれる古代人となり、九州西南地方に向ったり山陰・近畿地方を通り関東・信越あたりまで日本中に散らばっていった。
彼らの頭目にはイニシャルに「イ(伊)・ヤ(八)」のつくものが多かった。例えばイザナギとかヤマタとか。
そのほかに「エ・ケ・セ・テ・ネ」がついていた人が多かったようだ。
そしてこの人々は「長脛彦」という龍神を崇めていたようです。
時を同じくしてカムチャッカ半島から北海道に中東系の民族(モンゴル系とは明らかに顔立ちやスタイルが違う)が樺太から日本列島に入りこみ北海道から東北地方に住み着き関東地方あたりまで南下してきて、現在では蝦夷人と呼ばれるようになった人々がいたのではないだろうか(古代ユダヤ人の子孫という説もある)。
そして上記の人々が歴史のなかで融合して古代日本人(第1種日本原住民)となっっていったたのではないかと思う。
その後、朝鮮半島を通って日本にたどり着いた蒙古の騎馬民族が朝鮮民族と組んで古代人を討伐したり統合させたりしながら大和国家(百済・新羅派)を作り上げていった。
その当時の日本はおそらく文明の進んだ朝鮮半島の国家の植民地であったろう。
そしてこのひとたちの頭目は頭文字「ア(天)・キ・シ・チ・ニ」がつき、第1種日本原住民と融合して第2原住民となった。
神話にでてくる大和朝廷初期の頃である。
即ち頭に「ア・イ・エ・キ・ケ・シ・セ・チ・テ・ニ・ネ・ヤ」などのイニシャルにつく人々が第2種日本原住民の末裔ではないだろうか(明治以降勝手につけた苗字は除く)。
さらにその後に中国大陸から日本に桃源郷を感じ取り「藤原(とうげん=桃源)氏」を名乗った中国系民族が多数移住してきて第2種原住民を北へ北へと駆逐しつつ大和朝廷を乗っ取って奈良・平安朝を作り完成させ、ここに第3種原住民(平氏)が誕生したのである。
そして彼らは自らを公家と名乗り、第1種・第2種原住民(源氏)を地家(ぢげ)ないし百姓(ひゃくせい)・山賊(さんが)・庶民(くさびと)などと呼び徹底的に弾圧し搾取し差別した。
その後も中国大陸や朝鮮半島からの移民が住み着き日本原住民と融合して現代日本人の原型は完成した、のではないだろうか。
以上のことはあくまでも想像の世界を楽しんでいるのであって、日本人のルーツである古代人がどこから来たのかは、現代日本人の遺伝子を徹底的に調べてくれる科学者が現れるまで真実は分からないのだろう
第1種原住民、第2種原住民、第3種原住民にしても1.500年以上の歴史が流れていく中で融合や混合が進みました。
そしてほとんどの日本人は、血統や血筋を徹底的に遡っていくとどこかで天皇家にたどり着くことが多いようです。
天皇家が万世一系というのは真っ赤な偽りであるものの、日本人の意識の中に錦の御旗には逆らえないといって平然と恩のある徳川家を裏切ったり、天皇陛下のために命を投げ出して国体を守れといわれて「はいはい」とおとなしく従って戦争をしたのはここに原因があるのではないだろうか。
そして現在でも日本人が天皇家を愛してやまないのは、日本国民の血の中に天皇家は「我がお頭」という事が長い歴史のなかで刷り込まれているのではないだろうか、と考えます。
が、後に韓国や中国から移住してきた倭人に追われて、今では北海道の一部にだけ残っているアイヌ民族が日本原住民である、と言うものでしょう。
しかし、これは真実だろうか。
私はこれは違うのではないかと思っています。
紀元前、東南アジア方面からくり抜き舟を使って漂着した人々(ムー大陸の子孫という説もある)、中国大陸の戦乱を逃れて日本に亡命してきた人たちや朝鮮半島に居住していた人々が九州や山陰地方に流れ着いた人々と混血して縄文人と呼ばれる古代人となり、九州西南地方に向ったり山陰・近畿地方を通り関東・信越あたりまで日本中に散らばっていった。
彼らの頭目にはイニシャルに「イ(伊)・ヤ(八)」のつくものが多かった。例えばイザナギとかヤマタとか。
そのほかに「エ・ケ・セ・テ・ネ」がついていた人が多かったようだ。
そしてこの人々は「長脛彦」という龍神を崇めていたようです。
時を同じくしてカムチャッカ半島から北海道に中東系の民族(モンゴル系とは明らかに顔立ちやスタイルが違う)が樺太から日本列島に入りこみ北海道から東北地方に住み着き関東地方あたりまで南下してきて、現在では蝦夷人と呼ばれるようになった人々がいたのではないだろうか(古代ユダヤ人の子孫という説もある)。
そして上記の人々が歴史のなかで融合して古代日本人(第1種日本原住民)となっっていったたのではないかと思う。
その後、朝鮮半島を通って日本にたどり着いた蒙古の騎馬民族が朝鮮民族と組んで古代人を討伐したり統合させたりしながら大和国家(百済・新羅派)を作り上げていった。
その当時の日本はおそらく文明の進んだ朝鮮半島の国家の植民地であったろう。
そしてこのひとたちの頭目は頭文字「ア(天)・キ・シ・チ・ニ」がつき、第1種日本原住民と融合して第2原住民となった。
神話にでてくる大和朝廷初期の頃である。
即ち頭に「ア・イ・エ・キ・ケ・シ・セ・チ・テ・ニ・ネ・ヤ」などのイニシャルにつく人々が第2種日本原住民の末裔ではないだろうか(明治以降勝手につけた苗字は除く)。
さらにその後に中国大陸から日本に桃源郷を感じ取り「藤原(とうげん=桃源)氏」を名乗った中国系民族が多数移住してきて第2種原住民を北へ北へと駆逐しつつ大和朝廷を乗っ取って奈良・平安朝を作り完成させ、ここに第3種原住民(平氏)が誕生したのである。
そして彼らは自らを公家と名乗り、第1種・第2種原住民(源氏)を地家(ぢげ)ないし百姓(ひゃくせい)・山賊(さんが)・庶民(くさびと)などと呼び徹底的に弾圧し搾取し差別した。
その後も中国大陸や朝鮮半島からの移民が住み着き日本原住民と融合して現代日本人の原型は完成した、のではないだろうか。
以上のことはあくまでも想像の世界を楽しんでいるのであって、日本人のルーツである古代人がどこから来たのかは、現代日本人の遺伝子を徹底的に調べてくれる科学者が現れるまで真実は分からないのだろう
第1種原住民、第2種原住民、第3種原住民にしても1.500年以上の歴史が流れていく中で融合や混合が進みました。
そしてほとんどの日本人は、血統や血筋を徹底的に遡っていくとどこかで天皇家にたどり着くことが多いようです。
天皇家が万世一系というのは真っ赤な偽りであるものの、日本人の意識の中に錦の御旗には逆らえないといって平然と恩のある徳川家を裏切ったり、天皇陛下のために命を投げ出して国体を守れといわれて「はいはい」とおとなしく従って戦争をしたのはここに原因があるのではないだろうか。
そして現在でも日本人が天皇家を愛してやまないのは、日本国民の血の中に天皇家は「我がお頭」という事が長い歴史のなかで刷り込まれているのではないだろうか、と考えます。
沖縄戦には、アイヌの人達が沢山行かされている。
沖縄戦で一番多くなくなったのは北海道の人なのです。
(先日の朝日新聞)
アイヌの民話(?)で好きなのが、熊を殺して食べるが殺された熊は、人間になって生まれ変わってくる。
沢山ね熊を殺すと人間が多くなりすぎてもっと熊を殺さなければならなくなる。
だから、沢山の熊を殺してはいけない。
という話があります。
このことは知りませんでした。
教えて頂きありがとうございます。
昔の日本人もアイヌの人々と同様に必要以上の作物やケモノは捕らなかったものでした。
アメリカから持ち込まれた大量生産・大量消費の風潮が、今のように日本人をおかしくしてしまったのではないでしょうか。