保険会社が修理を認めない、まだその状況は続いていて、検査の結果も聞いていないし、こちらとしては待つだけでしょうよ。
だけど、法的にどう考えるのか、弁護士さんに相談、そんな準備もしておこうかと。
正直、きちんと修理してもらえず、かつ安全であるって責任をもって判定した理由を明記した文章も書いてもらえないのなら、もうそのクルマに乗ることができないでしょうよ。結局、その方向で交渉する、そんなことかと。
まあ、こういう問題はきっちりさせないと。
確かに、ビジネス・アナリティクスの分野、凄く重要なんだけど、システムズ・アプローチ、意思決定、それにデザイン思考と繋げて展開させるのが良いかかと。単純な経営情報とは違う、そんなこと。
海外の大学だけど、ココイラをビジネス・スクールと絡めている、そんなところもあるの。もちろん、データ・サイエンスが基盤でもあるけど・・・。
と、アレコレ考えながら、微分幾何や代数幾何が気になっているところ。やはり、きっちり責任を持つ、そんな位置づけで数学を扱えるように自分を鍛える、そろそろ?そんな必要があるのかなーと。
そう言えば、日頃の生活に懸命になりながらも、俳句や音を奏でたり、小説を読んだり創ったりと、ココイラを生活の中に入り込んでいるココロへの糧って感じているの。で、専門って生活するのに必要で、社会の中での使命、といった位置づけで懸命に取り組んでいることで、数学ってココロの糧みたいな、空気みないな、何とも言えないものだけど。あくまでの個人的なことだけど。
だけど、文芸をきっちり学んで、創作活動を続けて、自分の作品で社会の使命を果たそうとする、そんなことに足を踏み入れた方々って文学がココロの糧なんていうレベルじゃなくて、自らの生活の糧であり、厳しい評価を受け続ける、ということになるかと。
数学も一歩踏み込む、そんなことって、どうなんだろう? 踏み込むのって、要はそれが自分の形成でもあるし・・・。でも、趣味的な方が気楽でもあるけど。
頑張りましょう。
経営の信頼性だけど、サービスを含む商品を購入した後に当該企業との関わりを評価する、そんなことを表すって考えても良いかと。末永く信頼性を感じる企業って、要は多くの顧客から支持される、そんなことでもあるでしょ。
で、ウリっぱって顧客第一主義にはならず、経営の信頼性が極めて低い、そんなことかと。理念や方針とのギャップが大きい、だけど既にそこから商品を買ってしまっていて、何となく信じられない、という悩みに陥るのって稀有ではないでしょ。
結局、嫌な気分だけでなく、そんな企業を信じてしまった自分を許せない、そんな状況に追い込まれて・・・。
経営の信頼性って確かに重要でしょうよ。