聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

エレミヤ書4章 (悔い改めへの招き)、北からの敵 その2

2010年05月29日 | 旧約聖書日記
つづき

旧約聖書略解 日本基督教団出版局 をまとめて。
『4・1~4
最初の二節は、イスラエルに対する悔い改めの呼びかけである。
大切なことは、バアルを捨ててヤーウェに立ち帰り、真実と公平と正義をもって「主は生きておられる」と誓うことである。
3~4節はユダの人、エルサレムの人に呼びかけており、ここでは「新田を耕せ」と呼びかけられている。
この言葉は、そのまま、ホセ10・12に記されており、そこでは「新しい土地を耕せ」と訳されている。
訳文の調整が必要とされる。
神の戒めの根本は変わらないが、新しい戒めによって、心を耕すべきだと言うのである。
「割礼」を受け、「心の包皮」を取り去るというのも同じことで、神の戒めを実行するのにふさわしい新鮮な感受性が求められていることが表されている。
神と人間、人間と人間の交わりは、新しくまた積極的な愛によって活性化される必要がある。
同じことでもマンネリ化すれば死んだものになって空洞化するばかりでなく、悪行をとどめることができず、神の怒りを招くことになると言うのである。

★北からの敵
4・5~31
「北からの敵」というテーマは、エレミヤの召命の記事にも切迫した問題として記されている。
初期の預言には二つの最重要のテーマがある。
一つは、北イスラエルに対する悔い改めの呼びかけであり、もう一つはアッシリア時代末期の外敵の来襲の預言である。
新バビロン帝国を興したナボポラサルは、エレミヤの召命の次の年に即位し、さらに次の年にはメディアにキアクサレスが即位した。
やがて両者は協力して、前612年にアッシリアの都ニネベを占領する。
しかし、エレミヤの初期預言における北からの敵は、新バビロン帝国の攻撃を指しているとは思われない。
既に五十年以上も前からメソポタミア地方の北方から、スキタイ人とキンメリア人が侵入して、アッシリア帝国を苦しめていた。
新しい帝国の建設をもくろむ勢力の来襲には、その攻撃の意図と方法が予測しうるものである。
しかし、略奪を目的として広い地域にわたって自在に出没し、攻撃を仕掛ける騎馬民族は、農業をいとなむ民族にとっては、不安と恐怖の的であった。
初期のエレミヤは「北からの敵」の来襲について、ほとんど終末的な恐れを抱いて、警鐘を鳴らし、非難を呼びかけている。
しかし、これほど恐れた「北からの敵」は結局ユダとエルサレムには来襲しなかったのである。
ギリシアの歴史家ヘロドトスは、スキタイ人の軍勢がエジプトを襲い、帰途ペリシテのアシュケロンを略奪したことを記しているが、エルサレムを攻撃することはなかった。
「北からの敵」に関する預言は、この箇所のほかに、5・15~19、6・22~26、10・19~22にも記されている。
いずれも、強い不安と恐怖を示している。

5~8節 神は預言者に命じて、ユダとエルサレムに向かって非難を呼びかけさせる。神が「北からの災い」を表させられるからである。

9~12節 この箇所の前半は、神の言葉とされているが、「災いの日」が来れば、ユダの指導者たちは、王も高官も、祭司も預言者も共に、神がユダとエルサレムの民に「平和」を告げられたのに、約束を裏切って「剣」が喉もとに突きつけられたというだろうと警告している。
後半では、そのとき、激しい裁きの風が神自身によって吹き付けられると宣言している。

13~18節 ここでは、預言者と神の言葉が区別しにくいように結びついている。恐るべき戦車と騎兵が北から襲ってくる。
そのことをダンからエフラエムの山々から、エルサレムに知らせよと言っている。
「ユダがわたしに背いたからだ」という部分だけは、明らかに神の言葉である。
ユダのなした仕業こそが、この災いの原因であることが、最後に確認される。

19~22節 この箇所の22節と、27~28節は、後代の加筆であろう。
エレミヤの終末的恐れが表現されている。「はらわた」はヘブライ語では感情の座であるが、エレミヤは苦しみにもだえ、心臓は激しく鼓動し、不安を抑えることができない。
「破壊に次ぐ破壊」が北から迫るのをエレミヤは予感したのである。
そしてまさに、そのことはユダの民の無知と無分別のためであると、神は告げられた。

23~28節 民の罪とそれに対する罰としての「北からの災い」によって、被造の世界そのものが、創造以前の混沌にもどることをエレミヤは示され、ユダの町々がすべて崩壊する様を予見したのである。
天と地の嘆きを賛詠的に歌い、これらすべての罰を下したことを神は後悔されないと断言する。
しかし、逆に「わたしは滅ぼしつくしはしない」という保留を付けている。これは生き残った世代の加筆と思われる。

29~31節 エレミヤが幻に見る都の悲惨である。
「目の縁を黒く塗る」は当時のエジプト風の化粧の仕方であった。
気を失おうとする女の叫びで、この幻は閉じられている。
幸か不幸かこれらの預言は、その時期には実現せず、エレミヤに対する迫害の原因の一つになった。』


以上の日本基督教団の旧約聖書略解では、北からの敵は騎馬民族のスキタイ人とキンメリア人になっている。
同じ日本基督教団の、旧約聖書注解Ⅱでは、
「北からの災いについては、古くからバビロン説とスキタイ説との二つがあって、両論相半ばする状態であった。
著者の私見では、基本的にバビロン説をとることはできない。」
とあるので、バビロン説とスキタイ説との、どちらの見解もあるらしい。
いのちのことば社の新実用聖書注解では、北からの災いはバビロン軍となっている。
なので、このつづきには、いのちのことば社の新実用聖書注解を載せてみようと思う。


つづく



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