聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 シリア・フェニキアの女の信仰 その1

2008年08月25日 | 新約聖書日記
◆シリア・フェニキアの女の信仰

『 7:24 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。

7:25 汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。

7:26 女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。

7:27 イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」

7:28 ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」

7:29 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」

7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。


7:24 Then Jesus left and went away to the territory near the city of Tyre. He went into a house and did not want anyone to know he was there, but he could not stay hidden.

7:25 A woman, whose daughter had an evil spirit in her, heard about Jesus and came to him at once and fell at his feet.

7:26 The woman was a Gentile, born in the region of Phoenicia in Syria. She begged Jesus to drive the demon out of her daughter.

7:27 But Jesus answered, "Let us first feed the children. It isn't right to take the children's food and throw it to the dogs."

7:28 "Sir," she answered, "even the dogs under the table eat the children's leftovers!"

7:29 So Jesus said to her, "Because of that answer, go back home, where you will find that the demon has gone out of your daughter!"

7:30 She went home and found her child lying on the bed; the demon had indeed gone out of her.』
(日本聖書協会 聖書 和英対照 和文・新共同訳 英文・TEV マルコによる福音書 より)


新約聖書略解、などへつづく

マルコ福音書7章 昔の人の言い伝え その3

2008年08月23日 | 新約聖書日記
つづき

新約聖書注解Ⅰ 日本基督教団出版局 を、まとめて。
『ユダヤ教の言い伝えと旧約聖書の食物規定に関する議論である。
1~13節では議論の相手は律法学者とファリサイ派の人々であるが、14~23節ではイエスの言葉の聞き手は最初群集に広げられ、次に特に弟子たちにだけしぼられる。

1~13節 ユダヤ教の言い伝え
食前に祭儀的意味で手を洗い清めることは旧約聖書の律法では命じられていないが、「昔の人の言い伝え」に定められている。
昔の人の言い伝えは律法学者が律法(トーラー)から導き出した規則で、200年ごろまでは成文化されず、口伝として伝えられたが、ファリサイ派の人々には旧約聖書の律法と同じ権威と拘束力を持っていた。
それは「律法を守る垣根」であると考えられた。

5節の問いは、四節の光に照らしてみると、基本的には、たんに食前に手を洗うことだけではなく、祭儀的洗浄に関する言い伝え全般にかかわる。
されに六節から八節では言い伝え(パラドシス)そのものが「人間の言い伝え」と呼ばれ、「神の掟(エントレー)」と対置されている。
言い伝えは神の掟を侵害から守る垣根どころか、むしろ神の掟を無効にする。
こうして言い伝えの権威は否定される。

10から12節は神の掟すなわち十戒の第五戒と出21・17、レビ20・9の掟がコルバンの言い伝えによって無効にされることを示す。
「コルバン」はマルコが説明しているように「神への供え物」を意味するヘブライ語。
ある物について「これはコルバンである」と宣言すると、それは、実際に神に供えられなくても、神への供え物すなわち聖なるものとして、本来の目的に使うことができなくなる。
通常はコルバンの誓いをなした当人がそれによって束縛されるが、ときには、この誓いは他の人にある物の使用を不可能にするために用いられた。
他の人―両親の場合もありうる―に対する怒りから性急にコルバンの誓いをなし、後で後悔することも少なくなかったと言われる。
マルコはコルバンの言い伝えに限らず、言い伝え全般を神の言葉を無にするものとして批判する。

14~16節
聴き手の変化とともに新しい主題―旧約聖書の食物規定―が論じ始められる。
それはもはやファリサイ派の人々や律法学者たちの問いに対する答えではなく、群集一般への宣言である。
15節aはモーセの律法における食物規定を破棄する大胆な言葉。
人を汚すものは祭儀的意味における汚れた食物ではなく、「人の中から出てくるもの」すなわち悪い言葉(虚言、中傷など)である。それはそれを語る者を汚れた者―すなわち、聖なる神との交わりに不適格な者―とする。こうして汚れの概念は祭儀的領域から道徳的領域に移される。

17~23節
場面が変わり、イエスは家の中で弟子たちの質問に答えて彼らにだけ教える。
18b~23節は、教会がイエスのたとえ(マーシャール)に付けた説明。
「人の心の中に入る」「人間の心から・・・・出てくる」という語句が示しているように、神との関係においては、食物のような外的・物的なものではなく、心が決定的に重要であることが強調される。』


お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
人の中から出てくる悪い思いが人を汚す。
わたしの中から出てくる汚い悪い思いが、わたしを汚す。神との交わりに不適格な者である私にしてしまう。
どうか、罪ある私、悪い思いが無くならない私を、お赦しください。
イエスさまの十字架による罪の赦しに、すがります。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン