聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書9章 汚れた霊に取りつかれた子をいやす その2

2010年11月08日 | 新約聖書日記
つづき

新約聖書注解Ⅰ 日本基督教団出版局 をまとめて。

『ここには悪霊につかれた者の症状が二回にわたり相異なる仕方で述べられている。
群集の描写も不一致を感じさせる。
彼らは17節によるとすでにイエスのそばにいるはずであるが、25節の段階でイエスのほうに走りよってくる。
したがって17~27節には二つの伝承が融合されていると考えることが出来よう。
ここには信仰のテーマが組み込まれている。
14~16節は現在の形ではこの悪霊追放の伝承を前の場面と結びつけるための編集句。
17~18節はイエスの不在を前提としているので、14節においてもイエスが弟子達のところに戻ったということは伝承の段階で報じられていたはずである。
他方、群集のあいだでのイエスの人気を強調することはマルコ福音書の特色のひとつである。
17~27節の伝承においては群衆はほとんど何の役割も演じていない。
律法学者たちはマルコ福音書ではつねにイエスの敵対者として登場するので、ここでも弟子たちと律法学者たちのとの議論はマルコによる設定であろう。
弟子達だけに対するイエスの特別の教えを伝える28~29節も編集句。
事後に弟子達が家の中でイエスに尋ねるというモチーフはマルコ的である。

14節~16節
イエスと三人の弟子は山の下に残っていた「他の弟子たちのところに」来る。
16節のイエスの質問は律法学者たちに向けられたのであろう。
律法学者たちはイエスの問いに答えてないが、17~18節から判断すると、イエスが弟子たちに授けた「悪霊を追い出す権能」が問題になっていたものと思われる。
それは教会の問題でもあり、またイエスの権威にもかかわる問題である。
17~18節
病人は「ものが言え」ないだけではなく、てんかんの発作に襲われることがあった。
それは悪霊の仕業と考えられていた。たしかに病気は重く危険である。
ルカでは「悪霊は・・・なかなか離れません」と説明されている。
しかし弟子たちが悪霊を追い出せなかったのは、悪霊の力の強さゆえではなく、彼らの不信仰のゆえである。
19節
文脈から見ると、不信仰を嘆くイエスの言葉は弟子たちに向けられている。
彼らは「信仰のない時代」のいわば代表者とされる。
これまでは奇跡の条件として病人あるいはその友人の信仰が強調されたが、ここでは奇跡行為者の信仰が問われる。
20~24節
悪霊につかれた病人の絶望的な状態が描かれる。息子の発作は「幼い時からです」という父親の言葉は、この病気が薬ではいやされえないものであったことを示す。
さらに父親は息子が何度も生命の危険にさらされていると訴える。
「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」「できれば」という不信仰を表す条件文はこれまでの奇跡物語には見出されない。
父親は弟子たちの失敗を知ってこう言ったのであろうか。
23節のイエスの言葉は奇跡を行う者ーここではイエス自身ーの信仰を再び強調する。
しかしこの言葉は他の奇跡物語と同様にいやされる者の側にも信仰が不可欠であることを教える。
24節の父親の叫びは、信じきることのできない絶望的状況にある者がなおイエスの助けによって真に信じる者とされることを願う信仰の叫びである。
父親も病気の息子と同様にイエスの助けを必要としている。
25~27節
イエスは「群集が走り寄って来るのを見ると」、直ちに「汚れた霊」を追放する。これは公衆締め出しのモチーフの一種といえる。
しかし群集の接近は17節を読んだ読者には不可解である。群集はすでにイエスのそばにいるはずである。
25節の群集は17節の群集とは別の人々であろうか。あるいは、イエスと病人はいったん群衆から離れていたのであろうか。いずれにせよ、この物語の不統一性から、前述したように、二つの伝承の融合が推測される。
28~29節
弟子たちは「あの霊」の追放について問うが、イエスは一般的に「この種のもの」について答える。
一般に悪霊は「祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」。
先行の悪霊追放では祈りは何の役割も果たしていない。
しかしここでは、祈りは信仰の結晶と考えられている。弟子たちは祈らない者、すなわち信仰のない者と見なされる。
イエスの不在という点で、教会は山の下に残された弟子たちと同じ状況に置かれている。
この中で人間を悪の力から解放するためには祈りが不可欠であるーマルコ福音書の読者は29節の言葉をこのように受け取ったであろう。』



お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
信じられないわたしを、信じることができる者にしてください。
信仰の無いわたしをお助けください。
祈ることができないわたしを、祈ることができる者にしてください。
祈りをお助けください。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン


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