【◆「成長する種」のたとえ
4:26 また、イエスは言われた。
「神の国は次のようなものである。
人が土に種を蒔いて、
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
◆「からし種」のたとえ
4:30 更に、イエスは言われた。
「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
4:31 それは、からし種のようなものである。
土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」】
(日本聖書協会 聖書 新共同訳 マルコ福音書より)
新約聖書略解(日本基督教団出版局)をまとめて
『再び群衆に向けられた神の国のたとえである。
「種」は単数の語に定冠詞が付されており、特定の一つの種が考えられている。
(神の国の)種を蒔く人は、どのようにか(その仕組み)を知らないが、種は芽を出し、成長するようなものである。知らなくとも、彼は安心して寝起きして待つことができる。
28節は、「ひとりでに」、むしろ「自動的に」で始まる。
彼が安心して待てるのは、彼は仕組みを知らないが、大地が自動的に草のように柔らかい茎、次に穂、そして一杯の麦の順で、「実ができる」からである。
29節後半は、終末完成時、つまり神の国が力をもって来るときの姿を表す。
31~32節、神の国の象徴としてからし種が選ばれる。
理由は、種としての小ささと成長したときの大きさの対比の激しさである。
種は、黒からしの場合は直径0.95~1.6ミリ、重さ約1ミリグラム、白からしは約2倍で、
成長すると1.5メートル~3メートルになるという。
「空の鳥」など、全民族的契機を秘める。
このたとえによって、イエスの宣教と共に始まった神の国は些細なものに見えても、最後には驚くべき大きな完成を見ることが告げられる。
三つの種をめぐるたとえは、共に確実な種の成長と収穫の到来を告げ、その中に「神の国の秘密」を内包している。
問題は、イエスの宣教の中で始まっている神の国への応答である。』
「イエスのたとえ話講解・マルコ 佐藤陽二著 聖文舎」をまとめて
『たいせつなのは、どのような種をまくかということになる。
その種の内容は、信仰という場合に、まず神が第一になっていることである。
次に、イエス・キリストの十字架による罪の赦しの福音が、中心になっていなければならない。
さらに、死よりの復活の信仰がその種の中に入っていることが必要である。
以上の三つを含んでいる種が良い種である。
そして、このような種を蒔いていれば、どのように困難に見える種まきであっても、必ず実を結ぶようになる。
神が人の思いを越えて育ててくださるからである。
個人の信仰生活も、教会の歩みも、最初は、からし種のように、どんなに小さくてもよい。
生きた信仰であればよい。
もし、それが神の支配の中にあって始められたものであるならば、必ず成長して多くの人々を宿すようになる。
初め、その人は何の力も持ち物もない人かもしれない。
また聖書のただ一句に励まされ、またその一言の聖書を信じて動き出した小さな歩みかもしれない。
その小さいことのゆえに、また力もないゆえに、人々は見向きもしなければ、頼りにもしないであろう。
しかしその人への神の支配は大きく働き、「おのずから」成長し、人々が「宿るほどになる」のである。』
お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
小さな者であるわたしの、小さな小さな信仰が、
神の御手によって導かれ、育てられ、神の支配による働きができる者になりますように。
悩み、迷いの多いわたしですが、
どうか、このわたしを担って導いてくださいますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン
4:26 また、イエスは言われた。
「神の国は次のようなものである。
人が土に種を蒔いて、
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
◆「からし種」のたとえ
4:30 更に、イエスは言われた。
「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
4:31 それは、からし種のようなものである。
土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」】
(日本聖書協会 聖書 新共同訳 マルコ福音書より)
新約聖書略解(日本基督教団出版局)をまとめて
『再び群衆に向けられた神の国のたとえである。
「種」は単数の語に定冠詞が付されており、特定の一つの種が考えられている。
(神の国の)種を蒔く人は、どのようにか(その仕組み)を知らないが、種は芽を出し、成長するようなものである。知らなくとも、彼は安心して寝起きして待つことができる。
28節は、「ひとりでに」、むしろ「自動的に」で始まる。
彼が安心して待てるのは、彼は仕組みを知らないが、大地が自動的に草のように柔らかい茎、次に穂、そして一杯の麦の順で、「実ができる」からである。
29節後半は、終末完成時、つまり神の国が力をもって来るときの姿を表す。
31~32節、神の国の象徴としてからし種が選ばれる。
理由は、種としての小ささと成長したときの大きさの対比の激しさである。
種は、黒からしの場合は直径0.95~1.6ミリ、重さ約1ミリグラム、白からしは約2倍で、
成長すると1.5メートル~3メートルになるという。
「空の鳥」など、全民族的契機を秘める。
このたとえによって、イエスの宣教と共に始まった神の国は些細なものに見えても、最後には驚くべき大きな完成を見ることが告げられる。
三つの種をめぐるたとえは、共に確実な種の成長と収穫の到来を告げ、その中に「神の国の秘密」を内包している。
問題は、イエスの宣教の中で始まっている神の国への応答である。』
「イエスのたとえ話講解・マルコ 佐藤陽二著 聖文舎」をまとめて
『たいせつなのは、どのような種をまくかということになる。
その種の内容は、信仰という場合に、まず神が第一になっていることである。
次に、イエス・キリストの十字架による罪の赦しの福音が、中心になっていなければならない。
さらに、死よりの復活の信仰がその種の中に入っていることが必要である。
以上の三つを含んでいる種が良い種である。
そして、このような種を蒔いていれば、どのように困難に見える種まきであっても、必ず実を結ぶようになる。
神が人の思いを越えて育ててくださるからである。
個人の信仰生活も、教会の歩みも、最初は、からし種のように、どんなに小さくてもよい。
生きた信仰であればよい。
もし、それが神の支配の中にあって始められたものであるならば、必ず成長して多くの人々を宿すようになる。
初め、その人は何の力も持ち物もない人かもしれない。
また聖書のただ一句に励まされ、またその一言の聖書を信じて動き出した小さな歩みかもしれない。
その小さいことのゆえに、また力もないゆえに、人々は見向きもしなければ、頼りにもしないであろう。
しかしその人への神の支配は大きく働き、「おのずから」成長し、人々が「宿るほどになる」のである。』
お祈りしますm(_ _)m
恵み深い天の父なる神さま
小さな者であるわたしの、小さな小さな信仰が、
神の御手によって導かれ、育てられ、神の支配による働きができる者になりますように。
悩み、迷いの多いわたしですが、
どうか、このわたしを担って導いてくださいますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン